「イルミの……イルミのバカ……!」
夕暮れに染まる岬への道を、私はただ、走って、走って、走りぬいた。
太陽はとっくに沈み終えていて、迫る宵闇を背に、サンセット見物を終えたカップル達が幸せそうに歩いてくる。
彼等の姿を見るのが今は辛くて、ぎゅっと目を閉じる。
本当に、何もかも忘れてしまいたかった。
たった今、目の前で起こったことも、この耳で聞いたことも全て。
――苦しい。
――胸が、痛くてたまらない。
「……はあ、はあ……っ! ……っ、なんで、なんであんなこと……」
ぬぐっても、ぬぐっても、涙が溢れてとまらなかった。
走る度に視界は揺れて、紅に染まった西の空が、視界いっぱいに滲んでいく。
世界が紅く染まっていく。
昨日、イルミが言っていたように、その風景はまるで、空に鮮血が滴っているように見えた。
あの時は、あんなにも美しく思えたのに。
一人っきりで観る夕焼けの空は、どうしてこんなにも違うのだろう。
夜空から赤みが失せ、薄闇の落ちる小路を、私は構わずに駆け抜けた。
岬の先は、丸く開けた展望広場につながっている。
そこに、人影があった。
観光客ではない。
その人は、まるで、私を待ち構えるかのように、そこにいた。
四隅は松明が焚かれ、その中心で、赤銅色の太い腕を組んでいる――ピンク色でハート型のアフロ。
その、独特のヘアスタイルには嫌でも見憶えがあった。
息を切らせて走りこんできた私にむかって、うやうやしく礼をする。
「BON・SOIR! お嬢さん……またお会いできて、光栄デスヨ」
「……島長さん」
とたん、背後の草むらという後方から飛び出してきたピンク色の集団に、退路を塞がれた。
この島では常に、カップルで行動しなければならない。
違反者は即刻逮捕。
このままここにいれば、彼等に捕まってしまう……わかっていたけれど、私にはもう、逆らう元気は残ってなかった。
なんだかもう、色んなことがありすぎて、疲れてしまった。
「……もう、いいです」
「いい、トハ?」
「私を、捕まえて下さい……シングルの人は、この島にいちゃいけない決まりなんですよね。私はもう、イルミのもとに帰るつもりはありませんから……捕まえて、国外追放でもなんでもしてください……!」
「NONNON! そう自暴自棄になってはいけまセン。ホラ、これで涙を拭いて」
愛の島の長、ラブ・ヴァレンタイン島長は胸元からレースのハンカチを取り出し、差し出した。
島の規定を破った挙句、あれだけ逃げまわったのだ。
てっきり、即行島からつまみ出されるものと覚悟していた私は、拍子抜けした。
「怒っておられないんですか?」
「モチロンです。憤慨することなどナニ一つありまセン。ただ、ワタシは目の前ですれ違っている恋人たちの悲劇に、深く心を傷めているのデスよ」
片手を左胸に、眉根をぐっと潜める島長さん。
その眦から、すうっと一筋、雫が落ちた。
「島長さん……もしかして、事情をご存知なんですか?」
「OUIOUI……我々、愛の島の番人は、愛の島を訪れた恋人たちを見守ることも、また使命なのデス。ポーさん、貴女とパートナーイルミさんとのラブパワーは、この島にいる他のどの恋人達よりも深く、強く、勝っておりました。滞在一日目にして見事、ナンバーワンカップルを勝ち得た方々は貴方達が初めてなのデス! だからこそ、ワタシは貴女の力になりたい。気持ちがすれ違ってしまったからといって、簡単に彼のことを諦めて欲しくないのデス……!」
「……ありがとう、ございます。でも、仕方ないんです。もともと、私とイルミとでは家柄も、職業も、能力も……吊り合ってなかったんです。イルミは――」
喉に込み上がる嗚咽を押し殺して、言葉を続ける。
そうすることで、私は自分自身に言い聞かせたかった。
「イルミは真面目で、仕事熱心で、責任感も強い人だから……だからきっと、一時の遊び相手と、将来を共にする相手とは、はじめからきちんと区別するつもりだったんですよ」
「……」
「だから……仕方ないんです」
受け取ったハンカチで溢れ続ける涙をぬぐっていると、大きな手のひらが方に触れた。
「いいですか、ポーさん。失恋とは、恋を失うことなのデス。ですが、貴女はまだそれを失ってはおられまセン。その証拠に、ホラ」
ジャラ、と硬い金属音に目を向ければ、島長さんの手にはあの、ピンク色の鎖が、握られていた。
「あ……」
ハート型の枷が、私の両手に嵌められる――しかし、即座にひび割れ、地面に落ちて、粉々に砕け散ってしまった。
「愛とは、自由に羽ばたくためにある翼のようなもの。真の愛を抱くものは、ワタシの鎖で捕らえることが出来マセン。よって、貴女を国外追放になどするつもりはゴザイマセンよ」
「それなら、どうして私を待っておられたんですか……?」
「言ったでしょう? ワタシは貴女の力になりたいのデス。この島には、シングルが宿泊できる宿はありませんカラ。ついては、今夜はワタシの屋敷にお泊りを。ハイ、これが鍵デス」
と、手渡されたのは、ハート型の飾頭のついたピンクの鍵だった。
「えっ!? で、でも、私はもうこれ以上――」
「言い訳は無用デス。拒否なさるなら、お望み通り、強制的に連行するノミ!」
パッチン、と指を鳴らされた瞬間、
「うわあっ!? ちょ、ちょっと、ちょっと!」
私の身体は背後から押し寄せてきたピンク色の兵士たちに担ぎあげられ、あれよあれよというまに運び去られてしまった。