「……大丈夫?」
「うん。ごめんね、心配かけて」
ううん、と首をふるイルミは、お団子頭をすっかり解いて、いつものように下ろしていた。
服装も男性用の、落ち着いた臙脂色のチャイナ服だ。
隣の部屋から戻ってきた彼は、ガウン姿で寝台に腰かける私の横に腰を下ろした。
盆に乗せた白磁の茶器を、そっと手渡される。
淡い蜜色をした冷茶からは、甘やかな花の香りがした。
「……美味しい」
「少しは、落ち着いた?」
「うん、もう平気」
「……」
ごめん、ともう一度、イルミは呟いた。
爪を立てるように頭を抱え、深く俯いている。
長い髪が邪魔をして、その表情は伺えない。
でも――剥き出しの肩が、細かく震えているのが分かった。
「イルミ」
「俺……、俺、また……酷いこと、したね。大切にするって、決めてたのに。海月のことだけは、絶対に……壊したりしないって、なのに」
「……」
「駄目なんだ……昔から、執着した相手が自分の思い通りにならないと、止まらなくなってさ……海月のこと、殺してしまうところだった」
「イルミ」
ぐいっと、項垂れた顔を手のひらで包み、上向かせる。
長い黒髪の間から覗いたイルミの顔は、蒼白だ。
そうでなくったって、色が白いのに。
血の気の失せた唇が、痛々しかった。
「死なないよ。ちょっと呼吸するの、忘れちゃってただけじゃないの」
「でも――」
「私は、あのシルバさんにだって『俺にはお前は殺せない』って太鼓判を押されてるんだよ? そう簡単には死なないってば。ただ……」
「なに……?」
「うん……ただね、さっきは、分けがわかんなくなっちゃって。ゴメン……悪いのは、イルミじゃなくて私なの。私が……イルミにちゃんと甘えられてたら、怒らせることもなかったのにね……」
「……」
「……私、どうしても分からないの。どうやったら甘えられるのか、どうして、素直に甘えられないのか……恥ずかしいからっていうのは勿論あるけど、イルミに優しくされて、気持よくしてもらえばもらうほど、どうしていいか分からなくなるんだ……」
考えるほどに混乱する胸の内を、私はなんとか言葉にしようとした。
言葉にしないと、いけないと思った。
でないと、この先も平行線をたどったまま。
心は絶対に伝わらない。
もう、この人にこんな顔をさせるのは嫌だ……。
ようやく見せてくれるようなった笑顔を、失ってほしくない。
ぱちぱち、と、私を見つめるイルミの目が不思議そうに瞬いた。
「……そんなの、何も考えずに、甘えてくれればいいのに。気持ちいいなら、そう言ってくれればいいだけなのに」
「……うん」
「海月」
イルミが顔を寄せてくる。
私の眦からこぼれ落ちる涙を、キスで拭い去ってくれる。
「泣かないで。何も責めたりしてないから」
「イルミ……ごめん、ごめんね……」
「謝らなくてもいいよ。もう俺、海月のことは少しも怒ってないからね……ねえ、海月。どうしたらいいか、わからないって言ったよね。言い方が分からないってこと? 気持ちいいって、教えてくれるだけでいいんだよ? してほしいことを、なんでも言ってくれたらいいだけなのに」
「……でも、言ったら、イルミ……」
「何?」
「いやらしいって、思うでしょ……?」
「思わないよ。もし思ったとしても、海月のことを馬鹿にしたり、軽蔑するつもりはない。可愛いって意味でなら、思ったり、口に出したりするかもしれないけど。それが嫌だって言うんなら、もう言わない」
「……本当に?」
「うん」
こっくりと頷いて、イルミはじっと、私の目を覗きこんだ。
「だから、もっと俺に甘えてよ……」
「……」
「海月?」
「……私、ずっと、イルミに甘えたいって思ってた。恋人になって、天空闘技場に二人でいったときも、厳しくされるたびにもっと甘やかしてくれればいいのにって思ってた。だから、意地悪されるのが好きなわけじゃない……甘えたいのに、なのに、どうやって甘えたらいいのか、分からなくって、私――」
そのときだ。
それまで心の中を埋め尽くしていた靄が、一気に晴れた。
そうだ、分からなかったのは――。
「どうやって甘えていいか、わからない……?」
「うん。私ね、考えてみたら、お父さんは小さい頃になくなってるし、お母さんも働きに出てることが多かったから、親にも甘えたことがなくて……もっと小さい時は甘えてたんだろうけど」
「……」
「だから、面と向かって甘えさせてもらえるってことが、は、初めてっていうか……変に思うかもしれないけど、でも……本当に、どうしたらいいか――」
「……そう」
パチパチ、と。
イルミの目が再び瞬いた。
そして、おもむろに吐き出される深い息。
「ご、ごめん! ほんとに、呆れられて当然とは思うんだけど……!」
「……いや。気づかなかった俺が悪い。海月の境遇は前にも聞いたことがあったのに」
ぽん、と、頭に置かれたイルミの手が、優しく髪をすいてくれる。
でも、と首をかしげながら彼は言った。
「海月と再開した日の夜や、初めてしたときはちゃんと甘えてくれてたよ?」
「えっ!? ほ、ほんとに!?」
「うん、ほんと。その様子だと、きっと無意識だったんだよね」
ポンポン、と軽く頭をなでて、
「難しく考えないで、してほしいことや、したい事を口に出して伝えてくれるだけでいいよ。それだけで、俺は嬉しいから」
「嬉しいの……?」
「嬉しいよ」
イルミの唇が、私のものに重なって、すぐに離れる。
「海月のことが好きだからね」
「……っ」
「好きな人に気持ちよくなって欲しいから。それで、俺のことをもっと好きになって欲しいから、キスしたり、それ以上のことをしてるんだからね。気持ちいいって言ってもらえたら嬉しいよ?」
「あ……」
イルミの手が、そっと私の耳朶を捕らえる。
「そう言ってくれる海月のこと、可愛いって思うし」
「ひゃ……う……」
ぺろ、と熱い舌に触れられて、何度もキスを落される。
イルミの柔らかい唇が、耳朶から首筋を通って降りていく。
「もっと甘やかしてあげたいって、きっと思う」
「……イルミ……ィ」
ちゅうっと音がするまで項に吸い付いては、離れていく唇の熱と柔らかさに、ゾクゾクとした感覚が背中を這っていく。
気持ちいい?
と、寝台の上へ私の身体を静かに横たえながら、彼は尋ねる。
「気持ちいい? 海月。俺にこういうことされるの、嫌じゃない……?」
「……うん」
気持ちいい……。
呟くと同時に、イルミの身体が覆いかぶさってくる。
深く口づけられて、肩にかかったガウンをを脱がされて、裸の胸にイルミが触れる。
――それでも、さっきのように羞恥心が煽られるようなことは不思議となかった。
馬鹿にしたり、軽蔑したりはしないと、彼が言ってくれたからだ。
言葉にして伝えてくれたからだ。
「……イルミ、きもち、いいよ……ぉ……」
「海月、可愛い……」
身体の奥の、最も深い位置までイルミが入ってくる。
さっきまで散々焦らされていた箇所は、熟し切った果実のように柔らかく濡れている。
内壁は蕩け、挿入されるものの質量と硬度を確かめるように、ゆるやかに波打った。
気持ちいい、とイルミが微笑む。
「海月に抱きしめられてるみたい」
「……痛くない?」
「うん。海月こそ大丈夫?」
挿入っちゃったから、最後まで入れちゃったけどとイルミ。
腰が細いから、こんなふうに正常位で抱かれると、左右に張り出した腰骨がふとももの裏に当ってしまう。
じっとしている分には問題ないが、動かれると、少し痛い。
それを避けていくうちに、自然と彼の背中で脚を組むことを覚えた。
でも、今日のイルミは、なぜかそれをさせてくれなかった。
挿入したまま私の両足を持ち、左右の肩にかけたのだ。
「海月は身体が柔らかいから、多分、大丈夫だと思うけど。苦しくなったら言ってね」
「う、うん……え、この体勢でほんとに出来るの……?」
「出来るよ」
捕まって、と、耳元に熱い吐息。
イルミの指が、私の指の間に滑りこんできた瞬間だった。
それまで再奥だと思っていた箇所を、イルミの屹立が裂いた。
「――っあああ!!」
全身を駆け抜ける甘い痺れに、目の前が真っ白になる。
「海月」
ギュッと握りしめられた手のひらが、遠くに飛びそうになった意識を引き戻した。
「大丈夫?」
「……いじょ、ぶ……っけど、これ……」
「ん……?」
何、と囁きながら、イルミが顔を寄せてくる。鼻先同士をからかうように擦り合わせたあと、深く深く口づけられた。
「ん……ふ、あ……あっ、あ……!」
キスのリズムと合わせるように腰を揺さぶられて、堪らずに声を上げる。
寄せては、返す、波のような抽送を繰り返しながら、イルミは時折、不意をつくように再奥を突き上げた。
「っああ、あ……! イルミ……イルミ……ィ……」
「何……」
「……それ、気持ちいい……」
「これ?」
私の身体を大きく折り曲げ、イルミが体重をかけてくる。
同時に、すでに狙いをつけていたであろう一点が、熱塊の先に擦り上げられた。
「ひゃう……っ!!」
「すごいね……ここ、ちゃんと感じてくれるようになったんだね。最初の頃はちょっと突っつくだけで痛がってたのに」
「そ……なの……?」
「うん」
だから嬉しい。
囁いて、耳朶にキスを落とす。
「不安がらなくても、海月はちゃんと素直だよ。俺が俺の知らないうちに笑えるようになってるみたいに、甘えられるようにもなってるしさ。だって、二人で裸になって、こんなことしてるのだって、最初の頃からしたら考えられないだろ。」
「……うん!」
そんな彼の両肩から、するりと脚を抜いて、
「――イルミ、私ね。前よりもずっと、イルミのこと愛してるよ」
「……俺も。愛してる、海月」
腕を伸ばして、愛おしい身体を抱きしめた。