ある夜のイルミの冒険!4

 

 

 

 

イルミだ……。



イルミ、会いたかった。



目の前にいきなり飛び出してきた私を、イルミは怪訝そうな眼差しで見つめている。



「あ、あの……」



「……」



薄い硝子越しにのぞく、真っ黒な瞳。



髪は短く切り揃えた銀髪だった。



おそらく、念で身体を操作しているのだろう。



でも、歩き方が間違いなくイルミだったもん。唇を一切動かさずに、瞼だけを僅かに上げて驚く癖も同じ。



うん、やっぱりこの人はイルミだ。



イルミも、きっともう私の正体に気づいてるよね。



ドレス、似合ってるって言ってくれるかなあ。



でも、ニコニコする私に向かって彼が放ったのは、思いもよらない一言だった。



「何?」



「えっ!」



「何か用?用がないなら、そこ、どいてくれる。急いでるんだ、相手が欲しいなら他を当たってくれ」



「相手……?」



「違うの?そんな格好してるから、てっきりそういう誘いなのかと思ったんだけど。今、女を買ってる暇ないんだよね」



「……っ!!?」



ひ。



酷い!!



そりゃあ、普段の私からしたら想像もつかないほどオシャレで大人っぽくてムーディな格好かもしれないよ。



すぐには気づいてもらえないかもって、チラッとでも考えなかったかって言われたらそうじゃないよ。



でもっ!!!



いくらなんでも、それは酷いよ!!



無視されるより酷すぎるよ―――っ!!!!



「……」



怒りが心頭しすぎたからだろうか。



まるで血の気が引いたように、頭の中がスーッと冷たくなった。



同時に、自分でも驚くぐらいに、この状況を冷静に見つめている自分がいる。



そんな私が淡々と言った。



「……そういうつもりじゃなかったの。誤解させたのなら、ご免なさい。少し、貴方に話したいことがあるの。場所を変えて頂けませんか?」



「今すぐに?」



「心配しなくても、そんなに時間はとらせないから」



イルミは腕を組み、沈黙した。



感情の一切こもらない視線で、私の頭の天辺から爪先までを射るように見る。



断って欲しい。



という気持ちが四分の一。



食いつけバカイルミ。



という気持ちがもう四分の一。



心の半分では、私のことに気がついて欲しいと願っていた。



だって、変えたのは服装と髪型だけで、声は普段と同じなんだもの。



だから……これだけ話せば、話し方の癖できっと気づいてもらえるはずなんだ。



なのにイルミは平然として、




「いいけど。本当に俺、時間がないからね」



そう言い捨てるなり、踵を返してさっさとラウンジを出ていってしまった。



……。



信っじられない!!!



「もうこうなったら賭けなんてどうでもいい!!ふんづかまえて文句言ってやる!!」



「ポー、ポー!ちょっとタイム!★」



「ヒソカさんはすっこんでて下さい!」



ええい、いつの間に引っ付けたんだ。



ヒールの下に“伸縮自在の愛(バンジーガム)”!!



それまで、気配を潜めて遠目から様子を伺っていたヒソカさんが、ラウンジの出入り口の前に、私の行く手を遮るように立っていた。



少々、頭の痛そうな顔をしている。



「気持ちは分かるけど、今のイルミは危険だよ。彼、どうやらキミのことを同業者だと勘違いしちゃったみたいだ。狙っているターゲットが、ボディーガードに殺し屋を雇っていることはよくあってね。キミがそうだと思ってる。今の様子だと、行った瞬間に殺されちゃうよ★」



「分かってます。さっき一瞬、とんでもない目で見られましたもん。お陰で鳥肌が止まりませんよ」



「だったら、なおさら通すわけにはいかないね★ボクは、キミ達二人に殺し合いをして欲しいわけじゃないんだからねぇ」



ポー、と人差し指をつきつけて、



「イルミはキミを無視したりはしなかったじゃないか☆正体には気づかなかったにしろ、力量を見極め、無視するには危険なくらい強い相手だと判断した。だからこそ、キミの誘いに乗ったんだよ。こんなことは、彼にしては珍しいくらいだ。賭けは、キミの勝ちでいい☆」



「お断りします」



「ポー。ボク、聞き分けの悪い子は――」



嫌いだよ。



そう続くはずだったヒソカさんの言葉が途切れた。



私の眦から涙がこぼれ落ちる。



ポロポロと、顎から滴った雫は胸元を滑って、ネックレスへと染み込んでいった。



イルミは私に気がつかなかった。



イルミは私を見てくれなかった。



彼の頭の中は、きっと、殺しのことで一杯なんだ。



今のイルミは殺し屋なんだ。



そこに、私の入る余地はない。



少しもない。



ただの少しも――



「ポー」



「……分かりました。諦めます。諦めて、家に帰ります」



「はあ……ま、そう気落ちしないで★このラウンジは、ホテルのロビーも兼ねてるんだ。はい、ボクの部屋のルームキー。イルミを引き留めておいてあげるから、シャワーを浴びて、着替えておいでよ。ホテルマンにいいつければ、それなりの服を用意してもらえるはずだ。いつものキミの格好で行けば、なにも問題はない」



「ありがとうございます。でもいいんです……ほんとに邪魔みたいだから、私」



「ポー……★困ったなぁ、泣かせたかったわけじゃなかったんだけど」



優しく頬に押し当てられたハンカチは、薄いフレグランスの香りがした。



拭かれても拭かれても、勝手に涙は流れていく。



「ヒソカさん……私、普段は全然女らしい格好なんかしないんです。時々、イルミに呆れられることもあって――だから、ほんとはちょっと楽しみにしてたんですよね。なんて言ってくれるかな、とか、喜んでくれるかなあとか、一人で勝手にバカみたいな想像して……もう、ほんとにバカみたいですよ」



「よしよし。分かったからもう泣かないの。折角の美人さんが台無しだよ★よぅし。なら、今夜はボクがたっぷり慰めてあげよう。だから、機嫌をなおすんだ☆」



「ほんとですか……朝まで付き合ってもらえますか」



「勿論☆」



「全部、ヒソカさんの奢りでいいですか……?」



「勿論……って、え?ちょ、ちょっとポー、ボクを一体どこに引きずっていくつもりだい?」



「バーカウンターですけど」



「朝まで飲む気かい!?ダメダメ、レディはやけ酒なんかしないの!★」



「いいですよ、もうおっさんで……」



「コラ!うら若き乙女がなんてこと言うんだい、そんなんだからイルミが――」



ピタリ、と、ヒソカの動きが止まる。



その背の向こうで、ラウンジの自動ドアが開いた。



「ねぇ。人のこと誘い出しておいて来ないって、どういうつもり?」



イラついた声。いつものイルミよりも、少し低めの――再び、ラウンジに姿を表した彼は、ヒソカを念の触手、テンタ君でぐるぐるまきにする私を見て……そのまんまの姿勢で固まった。



「……」



「……」



三分経過。



「……ポー?」



「うん、私」



「……こんなところで、ヒソカと二人でなにやってるの?」



「イルミには関係ないじゃない」



言った瞬間、眼鏡ごしにすうっと目がすがめられた。



心なしか、見知らぬ男性の変装が崩れ、イルミの面影が滲み出てきたような気がする。



「関係ないわけないだろ。そんな風にドレスアップまでして。なにそれ、ヒソカに選んでもらったの?」



凍るようなイルミの視線を、私はひょいと肩をすくめて軽ーくいなした。



ドレスの裾を持ち上げて、くるっと回ってみせる。



「似合う?」



「似合わない。変装が目的なら、よくできてると思うけど。第一、色もデザインもシックすぎて、ポーらしくないよ」



「……」



「イルミ、イルミ!★」



“ドレスを選んだのはボクじゃない★今すぐポーに謝るんだ!!”



――と、人差し指を立てて念の文字でカンペを作り、小声で主張するヒソカをマグロの一本釣りのごとく釣り上げる。



「あうっ!★」



「やっぱり今夜は朝まで飲みます!!行きますよヒソカさん、手始めにテキーラをショットガンスタイルで!!」



「だから、やけ酒はダメだって――あ、イルミ」



「え……?」



「バカなことやってないで、行くよ」



バーカウンターへ行こうとしていた私とヒソカさんの間に、一瞬で身を滑らせる。

 

 

 

「ヒソカ。この貸しは高く付くからね」

 

 

 

私を抱きかかえ、有無を言わせない強い態度でイルミはラウンジを後にした。