「じゃあ、仕事に行ってくるよ」
いつもの朝、いつものように食欲のなかった俺は、食堂で母さんからお弁当を受け取って、すぐにその場を立ち去るつもりだった。
それなのに。
「……あれ。ねぇ、なんだかいつもより、弁当箱が重くない?」
俺お気に入りの、うさちゃん柄のランチョンマットで包まれた弁当箱は、そういえば、大きさだって変だ。
なんで普通の弁当箱を包んでるのに、重箱みたいなサイズになってるの。
「なにコレ」
「あああ~ら、イルミったら!細かいことは気にしないの!!貴方も成長期なんだから、ミルほどに、とは言わないけれど、ご飯はいっぱい食べなきゃダメよ?さあさあさあさあさあさあさあ、早くお仕事に行ってらっしゃい!!!」
「……」
怪しすぎるよ、母さん。
ゴーグルのライトを真っ赤に点滅させながら、強引に送り出そうとする母さんを無視して、はらりとランチョンマットを解いてみる。
「駄目よおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーっっ!!!!」
そのとたん、バサバサと、明らかに弁当箱ではない冊子のような物が、足元に落下した。
それも、かなり大量に。
こつん、と爪先に当たった一冊が、床に落ちて開く。
「……」
厚化粧の女の写真と、ばっちり眼があった。
「……母さん」
「ほ、ほほほほほほっ!!なにかしらあ~イルミ!!?」
「こういうことしないでって、言ったよね。俺」
「すっげえ~!!これって全部兄貴の見合い写真かよ!?こりねーな、お袋も!!」
「むぐむぐもぐ……ふーん、それにしても、ろくな女がいねーなコフー」
「キルア!!ミルキ!!アナタ達は黙ってらっしゃい!!!イルミ、そんなことないわよ~?ほぉら、よく見て。どの娘も、数多くの暗殺名家からママが厳選して厳選して厳選して選らんだ優秀な暗殺者ばかりなのよ~。だから、貴方もきっと、気に入ると思うわ~!!」
「行ってきます」
ドサ、と手渡された山のような見合い写真を、ドサ、とダストシュートに放り入れ。
俺は、さっさと食堂を後にした。
「イルミ!!?お待ちなさいっ!!ママの話はまだ終わっていないのよ、イルミ―――っ!!!」
***
「遅かったな」
自宅飛行場。
離陸準備の整った飛行艇のタラップの前で、親父が待っていた。
今日の依頼は、同業者からの妨害が多いらしく、親父の仕事に俺がフォローに入る段取りなのだ。
「うん。ごめんね。ちょっと、母さんに捕まってた」
「見合いの話か?」
「知ってたんなら止めてよね」
「すまん」
乗船しながら、お互い、もはや合言葉のように定着したやりとりを淡々と終える。
そう。なにも、これが初めての話ではない。
この前は、俺の部屋一面に花嫁候補の写真やポスターが貼られていたし、その前は暗殺依頼の資料だと偽られた。
……間違って殺しちゃったら、どうするつもりだったんだよ。母さん。
「離陸するぞ」
「了解」
親父が舵を握って、俺が目的地を入力する。
あとは無言。
現場に着くまで、ひたすら無言だ。
「……」
普段、とくに報告すべきことがないかぎり、俺と親父はあまり会話をしない。
でも、親父とこうしているときの沈黙が、俺は好きだった。
母さんが口うるさすぎる、というせいもある。
親父と二人で、ゆったりと落ち着いた時間に身を任せているうちは、わずらわしいものはなにも生じないから、安心していられるんだ。
もちろん、圧迫感はあるけどね。
俺は、もう慣れっこだし。
「イルミ」
それなのに、今日は親父が沈黙を破った。
操舵室の窓へ目を向けていた俺は、少し意外がった。
「なに」
「見合いをするのは、そんなに嫌か?」
「うん。ヤダ。分かりきってることをわざわざ訊ねるなんて、父さんらしくないね」
「キキョウはあれで、熱心だからな。もし、少しでも興味があるなら、一人くらい決めて会ってみたらどうだ。お前ももう24だ。そろそろ考えはじめても、早すぎることはない」
「……意外だね。父さんがそんなこと言うなんて」
「そうか?」
「うん。俺、その時が来たら親父に呼び出されて、この女と結婚しろって言いつけられるもんだとばかり思ってた」
「ゾルディックの嫁は、強制では勤まらん」
それはそうだろうけど。
「死んだらまた、新しいのをめとればいいだけの話じゃないの?」
「途中で死ぬような嫁なら、最初からめとらない方がましだ」
「そうなんだ。思ってたより面倒だな。正直、見られないほど醜くなければ、どんなのでもいいと思ってたけど」
驚いた。
表情には出さないけど、まさか、親父とこんな話をするなんて思ってなかった。
親父が、俺の結婚相手に対してそんな風に考えていたことも知らなかった。
一体、母さんになにを言われたんだろう……そんな詮索をすりあまり、ついまじまじと無遠慮に見つめすぎたのかもしれない。
キロ、と、親父の視線が俺を向いた。
冷たい、アイスブルーの瞳。
「イルミ。見合いが嫌なら、お前が自分で見つけてこい。この俺に――ゾルディックに、殺せない嫁を」
「……いるわけないじゃない。そんな女」
「キキョウがそうだったぞ?」
「母さんみたいなのはごめんだね。俺は、もっと物静かなのがいい」
「俺もはじめはそう思ってたんだがな……」
「ふーん。そうなんだ。そう言えば、父さんと母さんの馴れ初めって、どんなだったの?」
「……ゴホン。イルミ、仕事だ。着陸の準備にかかれ」
「あからさまに誤魔化さないでよ」
……まあ、いいや。
そんな嫁なら、当分見つかりそうにないし。
もし、母さんが無理矢理誰かと見合いさせようとしたら、親父にぶっ殺して貰おう。
うん。そうだ、そうしよう。
「……いらないよ、嫁なんか」
俺には、キルがいれば充分だよ――。
最後の言葉は聞こえていたのか。いなかったのか。
親父は、なにも言わなかった。
***
目を開ける。
膝の上に、気持ち良さそうに眠っているポーの姿があった。
ここは、うちのリビング。
テーブルには、開きっぱなしのノートパソコンと、飲みかけのジュースが無造作に置かれている。
床には沢山の本。
貝や、魚や、俺の知らない生き物たちの写真を、丁寧に貼り付けたスクラップ帳――
寄り添うようにソファに腰かけて、一体、二人でどれくらいの時間、こうしていたんだろう。
「……覚えてないや」
ポー、と名前を呼んでも、ポーは起きない。
規則正しい寝息と、温かい体温が、俺の両膝から伝わってくる。
明るい茶色の、毛足だけウェーブがかった彼女の髪は、出会ったころよりもずいぶん長く伸びた。
切らないの、と前に訊ねたら、俺くらいになるまで伸ばしたいって笑ってた。
俺、他人に自分の真似されるって、あまりいい気がしない性質なんだけど。
なんでかな。
ポーにそう言われたときは、嬉しかったよ。
「……ん?」
頬にかかってしまっていた髪を、起こさないように指で梳いてあげたとき。
ポーが、なにかを握りしめていることに気がついた。
丸い、プラスチックのプレートのようだった。
「これ」
トクン、と脈打つ心臓。
そうだ、俺はこれをよく知っている。
そっと、取り上げる寸前、ポーが目を覚ました。
「んあ~っ!よく寝た~!!」
「寝すぎだよ」
俺の膝から身を起こし、そのまま背中をいっぱいに反らして伸びをする。
あいかわらず無防備だな。
いいの?俺の目の前にそんなに胸を突き出して。
襲っちゃうよ?
と、思ったけれど、それよりも、今はポーがその手に握りしめているプレートが気になった。
命拾いしたね。
「ねえ、なんでそんなもの持ってるの?」
「え」
ポーはきょとんと俺を見た。
「それ、ハンター試験のときに俺から奪ったプレートだろ?301番。なんで今更そんなものを持ちだしてきたの?」
「なんでって」
俺を見つめるポーの顔が、みるみる赤くなっていく。
え?
俺、なんかまずいこと聞いたっけ?
「イルミ!!やっぱりさっきは何も聞いてなかったんでしょ!もーいいよ、もうなんにも相談なんかしないからっ!!」
「待って。ゴメン。今度はちゃんと聞くから、教えてよ」
ね、と首を傾げて、ぎゅうっと背中から抱きつく俺。
ごめんね。
俺、本気で寝てたみたいだ。
なんだか、昔の夢を見ていたような気もするけど――なんだっけ。
「はあ……もう、わかったよ。あのね、昨日ハンター協会のネテロ会長に呼び出されて、これを手渡されたの」
「依頼書?……“――来年度に開催されるハンター試験試験官に右を指名致します”…………え?」
「え、じゃないよ」
いや、それしか言いようがないじゃない。
ポーが試験官?
「…………で、コレ、引き受けるの?」
「もっちろん!!」
あちゃー。
「だって、今うちの職場、ぜんっぜん人が足りてないんだよ!?前に比べたら増えたけど、この世界の海洋研究は、まだまだ発展途上の分野なんだから。早い話しがマイナーだって思われてて、志望してくれるハンターも少ないわけ!だからね!!このハンター試験で、いい海洋幻獣ハンターになれそうな人を見つけて合格させちゃえばいいと思わない!!?」
「……仕事にそんな私情をはさんでいいの?」
「ネテロ会長はいいって言ってたよ?」
「……」
あのじいさんめ。
鼻息あらく、よっしゃーがんばるぞー!!なんて、拳を突き上げはじめたポーはもう誰にも止められない。
そうだ。よくよく見れば、パソコンに開いてある画面は大監獄塔トリックタワーの公式HPだし、スクラップ帳の奇妙な生き物たちの写真には、ヌメール湿原と小さく書き記されている。
「まさか、去年と同じ場所で試験を行うつもり?」
不安と懸念をもって訊ねれば、目の前の婚約者はなにやら奇妙な踊りらしきものを踊りながら、
「ううん。ちょっと参考にしようと思って」
ケロリと返すその向こうで、リビングの扉が音もなく開いた。
「騒がしいな。またお前か、ポー」
「シルバさん!」
「父さん、おかえり。仕事終わるの、早かったんだね」
「飯は家で食いたくてな。それより、ゴトーから聞いたんだが、協会からの呼び出しがあったそうだな。またなにかやらかしたのか」
「さっきからまたまた言いすぎです。悪いことじゃないんですよ?実は、来年のハンター試験の試験官に抜擢されちゃいましたー!!」
「お前が」
うわ、親父が固まってる。
「……ハンター資格を持って、まだ一年も経っていないだろう。そんなうちから、試験管なんて務まるのか?」
「さあ?やってみないことには、なんとも言えませんねー。でも、会長は“お前さんが普段やっとることをやってくれたらそれでええ。ほっほっほー”って」
「ポーが普段やってることって」
嫌な予感。
その予感を煽るような足音が、ドッシドッシと聞こえてきた。
「ポー姉!頼まれてた資料はこれで全部だぜ。にしても、本当にこんな危険海域のど真ん中で試験なんかすんのかよ?」
「ありがとう!おお、バッチリ。いやーだって、ここ一帯はとある第一級危険指定生物の回遊区だし、軍事的に見ても微妙でさ、ハンター試験ってくらいの肩書きがないと、立ち入り許可が出ないんだよねー。でも、そのおかげで、この海固有の海洋生物たちと、独特の生態系が守られてきたわけ。つまり、試験をしながら生態調査できる。これぞ一石二鳥!!」
「まあ、いーけど。俺には関係のない話だしコフー……」
「何言ってるの。ミルキくんの応募用紙、もう出しといたからね。ネテロ会長に直接手渡しで」
「なに勝手なことやってんだあーーーーーーーーっっ!!!???」
「いいじゃない。私のプランだと、最低二週間は海のど真ん中で自給自足だし、鍛えられるし、ダイエットにもなるよ?」
「バカ言えコフー!!そんなネット環境の整ってない場所なんかごめんだね!!」
「受けてこい」
「親父!!?」
「父さん、本気?」
ミルキがハンターだなんて、キル以上に向かないと思うんだけど。
でも、ソファに腰掛けて目だけをミルキに向けている親父の表情は――うわ、本気だ。
「ポーがこの家に来てから、お前も随分鍛えられた。食事の際の強力な念の服毒で毒耐性も向上している。以前のような不節制も慎んでいるようだし、ポーの健康診断結果によると、体重もコレステロール値も大幅に減少しているようだ。今鍛えれば、確実に伸びる。参加してこい」
「だってさ。ミル。よかったね。お前、父さんにこんなに褒められたの初めてなんじゃない?」
「う……グッ!!?」
「だーいじょうぶ!!試験内容は秘密でこっそりじっくり教えておいてあげるから!」
「だから余計に嫌なんだよーーー!!!イル兄、聞いてくれよ!ポー姉ったら3つの強国がせめぎ合う魔のデルタ地帯で、受験者にサバイバルさせようとしてんだぜ!!?しかも、その海域一帯が危険指定生物ニトロマグロの回遊エリア!!」
「マグロ?いいじゃない。美味そうで」
「脂肪の代わりにニトログリセリンを蓄えるマグロなんて、いくら俺でも食えないよコフー!!!」
「なにその天然魚雷。危ないなー、そんなのが海を泳いでるの?」
「うん!ニトロマグロは群生のマグロでね、超大型の海洋生物にだって、果敢に突き進んで行くんだー!仲間の為に玉砕していくその姿はもう、感動ものだね!生命の底力を感じるね!!」
「……で、しかも三国間での領土問題を抱えてるんだ」
「それぞれの国の許可は、もうとってあるもん。私が受け持つのは二次試験。一次試験で基礎体力を認められた受験生たちは、3つの国のいずれかの港にたどり着く。そしたら、そこで船出に必要な物資を買い集めて貰うの。経費はハンター協会持ちでね」
「ふむふむ」
「三隻の船が、デルタ海域中央部で鉢合わせしたら、船同士のいさかいが生じてハデな撃ち合い!!船は三隻とも沈没。受験生は全員、積荷とともに海に投げ出される。そこからがサバイバル!海に浮かんだ積荷をイカダ代わりにするっていうのは、すぐに思いつくと思うの。でもね、皆が生き延びられるかどうかは、事前に自分たちが買い集めた物資にかかってるんだ!限られた道具をいかに使うか、想像力と行動力。なによりも、皆で生き残るんだっていう結束力と協調性が試されるよねー!どれも海洋幻獣ハンターには、絶対不可欠な要素だよ!!」
「……俺、去年合格しておいて、本当によかったと思う」
「ついでに嫁も見つけてこい」
「いらないよ!!俺の嫁は、失恋戦隊ミレンジャーのミレンブルーただ一人……ぎゃあああああああああああ!!!」
親父、今ちょっとだけ殺すつもりでナイフ投げたでしょ。
気持ちは分からなくないけど……。
って、あれ?
「ポー、ちょっと待って。ポーは試験管をするって言ってたよね。だったら、試験の間はずっと試験会場にいるの?」
「うん、勿論。他の試験官さんたちと一緒に、モニターを観てると思うよ?」
「ダメ。やっぱりダメ。盛り上がってる所悪いけど、試験管の話は断って」
「なんで!!?」
「そいつらってどうせ男だろ?二週間も俺以外の男と一緒に寝食をともにするなんて、俺、許さないからね」
「そっち!?海が危ないからとかそんなんじゃなくって?」
「海は平気だろ?ポーは半分イカなんだから」
「イカじゃないもん!!目指してるのはクラゲ!!ちょっとシルバさん!!イルミがなんの根拠もなく私のこと疑うんですけど!そんな子どもに育てた覚えはないって言ってやって下さい!!」
「お前は、本当にキキョウそっくりだな……」
「やめてよ。わかった。いいよ。そのかわり、俺も行く。ほら、ここに書いてあるもん。申請すれば、サポートにサブの試験官がつくことも可能なんでしょ。定員二名。うち、一名は俺」
「そう来ると思って、そっちの申請はもう出しときました」
「根回し早すぎるだろコフー!!」
「あと一名、空きがあるんだよね。あ、シルバさんどうですか?」
「俺は仕事だ。その時期は二週間も空けられん」
「そうですか……よし、じゃあヒソカさんでも誘ってみようっと!」
「えー、なんでわざわざ」
「声かけとかないと、あとで“なんでいつもボクばっかり仲間はずれにするんだい”って、拗ねて人殺しするでしょ?大丈夫。去年のハンター試験みたいなことはさせないもん。あくまで、私のサポート!青い果実さがし!!」
「……まあいいけど」
あれ。
なにあっさり許してるんだよ、俺。
ハンター試験は、俺とポーが初めて出会った場所だ。
俺とポーの、馴れ初め。
今あるこの日常が、この賑やかな日々が、始まった場所――。
あれから、もう一年も経つのか。
ポーがこの家に来てから、丁度半年。
それまでは、ただ広いだけだったリビングに、家の皆が集まるようになった。
今だって、いつの間にやらポーと親父とミルキの話の輪に、ゼノじいちゃんとマハひいひいじいちゃんが加わってる。
仕事から帰ってきた母さんとカルトが、お茶とケーキを持って、やって来る。
話題はもちろん、ミルキのハンター受験について。
嫌がるミルキをよそに、試験内容はどんどん過酷に計画されているみたい。
皆、楽しそうだな。
笑い声なんてものには、てんで縁のなかった家だけど。
それが当たり前だと思っていたから、俺は騒がしいのは嫌いだと思っていたけど。
今では――
「ポー」
「なに?」
「……ありがとう」
振り向いた彼女はぽかんとしていた。
他の皆には聞こえないくらい小さな声だったけど、親父にはきっと分かってしまったんだろう。
俺の方を見て、意味深に微笑んだ。
今では、この騒がしさが心地いい。
だから、いつまでも側にいてね――。