大都市ヨークシン郊外。
リンゴーン空港に降り立った私は、あのきらびやかなプラチナスターラウンジを横切って、ゾルディック家私用ハイヤーへと乗り込んだ。
移動中はなるべく目立たないように、とのシルバさんの指示もあって、同行してくれたいるのはゴトーさん一人だ。
でも、なにかあったときのボディーガードとしてか、この車から少し離れた位置を、カナリアちゃんと若手の執事さんの乗った別の車がついてくる。
二台の車は高速に乗って、空港から市街地へと続く巨大なブリッジに差し掛かった。
それにしてもこの格好は――うう、去年のクリスマス前のひと騒動を、嫌でも思い出すなあ。
飛行艇の中でメイドさんにもみくちゃにされながら着替えさせられたイブニングドレスは、シルバーのシルク地に淡い水色のシフォンが溶け合った、大人っぽく洗練された雰囲気の一枚。
髪はハーフアップにまとめられていて、鳥を象ったプラチナの髪飾りに、サファイアかなにかの青い宝石が冴えた光を放っている。
……もしかして、だけど、これってシルバさんが選んでくれたんだろうか。
フリフリのフリルやヒラヒラのリボン、キラキラのビジューに派手なレースなど、キキョウさん好みの要素を一切省いた、隙も無駄もないデザイン。
上品で、だけど、肩と背中がわりと大胆に開いているところとか、すっきりとして綺麗な光沢のあるAラインの裾の形なんかが、ナイフ収集が趣味のシルバさんがいかにも好みそうなドレスだと思った。
……うーん、気になる。
「あの、ゴトーさん」
「はい。いかがなさいましたか、ポー様」
私の横に、ピンと背筋をのばして腰掛けていたゴトーさんに、恐る恐る訪ねてみる。
「ええっと、このドレスってキキョウさんのものじゃありませんよね? かといって、カルト君っていうイメージでもないなと思って……ひょっとして、わざわざ?」
「はい。シルバ様より、ポー様に相応しいドレスを用意せよとご命令を頂きまして、こちらがいくつかご用意した中から、シルバ様自らお選びになられた品でございます」
「……やっぱり」
しかしながら、あの泣く子も舌噛んで黙るゾルディック家御当主、シルバ・ゾルディックその人が、色鮮やかな女物のドレスを前に思案にふけるお姿など、なかなか想像し難い光景だ。
「そんな可愛いシルバさん……近くでじっくり観察したかったなぁ」
そうひとりごちると、ゴトーさんはメガネの薄いレンズ越しに、にっこりと柔らかく微笑んだ。
「よかった。今日のゴトーさんは、ほがらか執事モードなんですね」
「はい。しかし、ポー様のご希望とあらば、もうひとつの方もお見せいたしますが?」
「え」
それって、もしかしなくてもノブナガさん風(だって声優さん同じなんですもん)ドスボイスのことか?
あの低くてエロいドスボイスのことかあああああああ――っ!!
「お願いします!!」
「かしこまりました――ガタガタ抜かしてんじゃねぇぞ、小娘が……っ!! テメェはただシルバ様のご命令通り、バカみてぇに動いてろ。妙な真似は考えるなよ。逃げようとしたが最後、時速130キロで高速を走行中のこのハイヤーから叩き落としてミンチにしてや」
「ストーップ!! やややっぱりいいです、ごめんなさい! シルバさんに呼び出されてるだけでも緊張してるのに、これ以上の緊迫感なんていりませんでした……!!」
「作用でございますか」
こめかみに飛び出していた青筋を瞬時にひっこめ、にこにこーっと応じるゴトーさん。
ううん、流石だ。
「あ、そうだ」
「まだ何か?」
「はい。今日はイルミが帰ってくる予定なんですよ。日付が変わってからになるだろうから、先に寝ててもいいとは言われてるんですけど、この分だといつ家に帰れるかわからないので、イルミに事情を伝えてもらってもいいですか? シルバさん、キキョウさんには死んでも話すなって言ってましたけど、他言無用だとは言わなかったので」
「かしこまりました。イルミ様には、後ほど私からお伝えいたします」
「よろしくお願いします。はあ……それにしても、あのシルバさんが助けてだなんて、キキョウさんとの間にいったい何があったんでしょうね? 飛行船での会話の中でも、結局はぐらかされちゃったし」
「それは、到着してからのお楽しみということで」
傍目から見れば実にほがらか―な笑顔を浮かべつつ、ゴトーさんは私の質問を華麗にスルーした。
……ま、いいけどね。
ゴト-さんの言うとおり、着いたら分ることなんだろうし。
「あ、ヨークシンだ」
何気なく目をやった窓の外に、ヨークシンのネオン街が広がった。
こんな夜中なのに、流石は大都会。
街には多くの人が溢れ、真昼のように明るい。
ファッション店のウィンドーや有名レストランが軒を連ねるこの界隈は、イルミと何度か来たことのある場所である。
今夜はバレンタイン前日ということもあって、ハートのイルミネーションや、色鮮やかなチョコレートを盛りつけたディスプレイが目立った。
歩道を行き交うカップルたちも、幸せそうだ。
バレンタイン一色に染まった街を目で追っていると、風景はふいに途切れて、高いレンガ造りの壁と、薔薇の垣根に移り変わった。
「あれ……ここって」
公園前の大通り。
大きなプラタナスが立ち並ぶ石畳の道の左右には、よく使い込まれた銅製のガス灯が、オレンジ色の光の輪を灯している――この道を行くということは。
「NGK(ノーザンクロス・グランドキズナス)ホテルですか!? わ、私、苦手なんですけど、あのキランキランした雰囲気は!」
「正面玄関前にて、係りの者を待機させております。シルバ様はロビー左のエクストラルームでお待ちになっておられますので、お急ぎ下さいませ」
「ゴトーさあん!」
しかし、ゾルディック家執事長様の行動は、主の命令にどこまでも忠実である。有無を言わさぬスマートな対応によって、嫌がる私を停車させたハイヤーから降ろし、案内役のホテルマンに引き渡すこと約5秒。
あれよあれよというままに、私の身体はキランキランしたホテルのロビーを横切って、その奥にある更にキランキランなVIPルームへと連れられていく。
たどり着いたのは、象牙彫の透かし彫りに、紅い瑪瑙が薔薇の形にはめ込まれた扉の前。
これ一枚だけでも何億円もしそうな扉を優雅に押し開け、案内人のお兄さんは深々と頭を下げた。
「こちらでございます、マダム」
「ど、どうも……」
ひゃあああ……っ!!
背中がゾクゾクするぅっ!!
それは、開かれた扉の向こうから漏れてくる、不穏なオーラのせいでもあるんだけど……いや、それ以上に、このいかにも上流社会って感じの、エレガンスでムーディなあれやこれやが原因なんだ。
もうイヤだ、こんなとこっ!!
イルミには悪いけど、やっぱりキャンセルさせてもらおう。
それがダメなら、追加報酬もらってやる……!!
よし!!
――と、鼻息荒く部屋の中に踏み込んだ私を、この方は、ただ静かに待ち受けておられた。
「来たか」
「シ……シシシシ、シルバさん! そ、そそそその格好は……っ!?」
象牙の白と金を基調とした、広々とした室内。
天井を覆うようなシャンデリア。
純白のベルベットソファに、むっつりとした表情で腰掛けていらっしゃるこの御方。
手持ち無沙汰に、ロックグラスなんか傾けておられるゾルディック家御当主シルバさんが、よもやタキシード&オールバックで三編みしてるだなんてああああああああああああああああ!!
目の保養!!
目の保養バンザイ!!
「写メ撮ってもいいですか!? ダメって言ってももう撮りましたけど!!」
「よだれを拭け。思ったより早かったな……ふむ」
ゆるり、と顎をなでながら、青く鋭い眼光で、私の頭のてっぺんから爪先までをひと眺めする御大。
ううっ! な、なにを言われるか緊張するよう……かくなる上は、先手必勝で!!
「す、すみません、こんなんでっ! せ、折角選んでいただいたドレスなのに、ちゃんと着れてるか不安なんですけど……!!」
「よく似合っていると思うが? キキョウはお前に、やたら飾り気の多い物を大量に仕立てているようだが、あの中にはいまいち気に入るものがなくてな……」
やれやれと重い息を吐きつつ、シルバさんは座っていた場所を少しずらして、ポンポンとソファを叩いた。
「まあ、座れ」
「は、はい……」
わあ、緊張する……!
肩をすくめつつ、15センチほど間をあけてシルバさんのお隣へ腰掛ける私。
「そ、それで、キキョウさんとの間にいったい何があったんですか?」
「ああ……実は、今日の仕事終わりにキキョウからあってな。急な依頼で手が足りないからサポートに来いというんで駆けつけてみたら、このザマだ。暗殺依頼など真っ赤な嘘。ゾルディック家の当主として、パーティーに出席して挨拶回りをしろだとさ。今回は、お前とイルミの婚約の件もあるから、当主がいないことには話にならんと喚いてな……全く、キキョウの奴」
「ええっ!? じゃあ、嘘ついてシルバさんを呼び寄せたんですか?」
「本当のことを言えば、俺はこんな所には来ねぇからな」
はあ、と溜息をつく御大。
「なるほど……事情はわかりましたけど。でも、なんで私を呼んだんですか? いくらセキュリティーのしっかりしてる高級ホテルとはいえ、シルバさんなら抜け出すことくらい、わけないでしょう?」
「脱出自体はな。厄介なのは、キキョウだ」
苦虫を噛み潰したような顔で呟いて、しかし、それまで不機嫌にへの字になっていたシルバさんの口元が、ニヤリとつり上がった。
――嫌な予感!
「そこで、お前の出番だ。わざわざこの俺がドレスを選んでまで、そんな格好をさせたのはなぜだと思う?」
「へっ?」
するり、と長い腕が、剥き出しの肩に回された、そのとき。
高級ホテルにはおおよそ似つかわしくない、ドドドドドド……という地響きが!
「あああああああああああああああああああなあああああああああああああああああたあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――っ!!」
スパーン、と開いた二枚の扉から飛び出してきたのは、まばゆく輝く金色のミラーボール、もとい、キキョウさんである。
パーティー仕様なのか、ダイヤだかスワロフスキーだかでごてごてにデコレーションしたメカニカルなゴーグルを真っ赤に光らせ、
「パーティーはとっくに始まっているのよ!! いつまでも渋ってないでさっさと――あら? まあ――っ!! あ、あ、あ、あああああああああああなたって人は、騙された腹いせに若い女を連れ込んで、こんな場所に隠れていいいいいいいやらしいことを―------っ!!!」
……は?
「ぶっ殺してやるっ!! かくなるうえは、木っ端微塵にふきとばしてやるわあああああああああ!!」
「ちょ、ちょっと待って下さい!! 誤解ですっ! キキョウさん、よーっく見て下さいってば! 私です、ポーです!!」
怒髪天を突く勢いで怒りの咆哮を上げ、一体、どこから取り出したのか、対戦車用ロケットランチャーの引き金にかかっていたキキョウさんの指が、ピタリと止まる。
真っ赤に光るゴーグル越しに、まじまじ、と私を見つめ、
「ポー?」
「……はい。お仕事、お疲れ様です。キキョウさん」
「……」
ズドンッ、と床に落ちるランチャー。
「まあーっ!! わたくしとしたことがなんてこと。馬子にも衣装とはこのことねっ、ちっとも気が付かなかったわ~! オホホホホホ!!」
「あ、あははは……」
はあーっと、隣で深い深い溜息を落としていらっしゃるシルバさん……このご夫婦も、色んなご苦労がありそうである。
「それで? わざわざ家からこの子を呼び寄せ、ドレスアップさせてどうしようというおつもり?」
「ああ。さっきから言っているが、俺は仕事で疲れて体調が優れない。だから、夜会には俺の代わりにこいつが参加する。自分たちのことだ。挨拶回りは本人達がすれば問題ないだろう」
「それはそうでしょうけど」
「ええっ!?」
なんですか、その爆弾発言は!!
「ちょ、ちょっと待って下さい! シルバさんの代わりに、私がパーティーに出るんですか!?」
「そういうことだ。後は頼んだぞ」
「は、はあ……わかりました。イルミにはゴトーさんを通じてことわってますし、あっちも帰りは深夜をまわるらしいですから、別に構いませんけど」
「だ、そうだ。キキョウ」
「そういうことなら! 全く、仕方がない人ね。いいわよ、今回は見逃してあげます」
「すまんな」
どこか、ほっとした表情のシルバさん。
一方キキョウさんは、カルト君の身支度をし直さなければと、またもやすごい勢いで部屋を出て行った。
「……行ったな」
「そうですね」
「はあ……助かった。約束通り、報酬として五日間イルミをくれてやろう」
「ありがとうございます。でも、どうしてシルバさんはパーティーが嫌いなんですか? その夜会服も、とっても似合ってるのに」
「窮屈な服は好みじゃない」
言うなり、御大は綺麗に結んでいた銀の三つ編みを解き、タイを外して、肩の荷が降りたようなくつろぎっぷりでブランデーを仰いだ。
「潜入時に支障をきたさないよう、社交界のマナーはひと通り叩き込まれてはいるがな。こういう派手な場所はガキの頃から大の苦手だ。仕事でもないのに、金持ち連中に揉まれるのは御免被る」
「金持ち連中って、シルバさんだって充分お金持ちじゃないですか……じゃなくて、ほら、パーティって、食べ放題、飲み放題が基本でしょう? このホテルのお料理、前にイルミと食べたことがあるんですけど、ものすっっっごく美味しいんですよ!? 魚介料理だって、デザートだって、私が作るものとは比べ物にならないくらいの手間暇と職人技のかかった、超一流のものばっかりなのに。食べずに帰っちゃうなんて、もったいないと思いません?」
「お前らしいな」
ククッと喉の奥で笑って、シルバさんは私を見た。
「好みの問題だと思うが。俺にはここの料理よりも、お前が作る海鮮料理のほうが舌にあっている」
「え……?」
「喰うだけでオーラが漲る。あの情け容赦ない毒っぷりも好みだ」
「ほ、ほんとですか!? うわあ、う、嬉しいですっ!! じゃあ、今度の週末にはシルバさんの好きな深海鯨をとってきて、肉のステーキ、いーーっぱい焼きますね!!」
「ああ」
「毒も、新開発のものすっっごいやつを、た――っぷり入れますからね!!」
「……そこはほどほどにしておけ。それより、そろそろ行かないとキキョウが怒るぞ」
「あっ! いけない。それじゃあ、行ってきます。シルバさんも、お気をつけて」
「ああ……ポ―」
「はい? ――わあっ!?」
ソファから立ち上がりかけた私の腕を、シルバさんの大きな手のひらが、がっしりつかむ。
そのまま、テーブルに引き倒されて――
「ああああ“驚愕の泡(アンビリーバブル)”!!」
ぷるんっ、と防御の泡に包まれた私は、シルバさんの手をぬるんと滑らせ、テーブルの上を転がって、華麗に回避した。
ふむ、と頷く御大。
「逃げに関しては問題ないか」
「な、ななんんん……!? いいいいいきなり何をするんですかっ!!」
「少し心配になった。お前があまりにも無防備なんでな」
まあ、その分なら大丈夫だろうと意味深に呟いて、シルバさんはぽんっと、私の肩に手を置いた。
「悪い男には、気をつけろよ」
「……はい?」