ある昼下がりの更なるイルミの受難!?

 

 

 

 

「うふふーうふふふふー、可愛いなあー可愛いなあー」

 

 

 

またまた、ある休日のこと。

 

 

 

朝起きて、ラジオ体操をし、拷問の訓練をひととおりこなして朝ごはんを食べた私は、イルミの部屋に鍵をかけて引きこもり、寝台の上でニヘニヘゴロゴロ……まさに、幸福の絶頂とも言うべき時間を堪能していた。

 

 

 

さっきから片時も離さず握りしめているのは、そう。

 

 

 

ついこの前、イルミから守り通した、あの写真……!!!

 

 

 

「はあ……可愛い、どれだけ眺めても飽きないくらい可愛いよイルミー!!」

 

 

 

ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ……。

 

 

 

「可愛いー!!超絶可愛いイルミ可愛い可愛いイルミー!!いつも会う度にゴンゴンゴンゴンゴンゴン鬱陶しい、ヒソカさんの気持ちが今分かった!!!変態なんて思ってごめんなさい!!あーもう、なんでこの頃のイルミがいたときにトリップ出来なかったのーーー!?はっ!そうだ、クローンだ、ホムンクルスつくろう!!もし成功して、この頃のイルミにまで成長したら、完璧に防腐処理ほどこして永久保存するんだーーーーーっっ!!!!」

 

 

 

ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ……、新台の上を右へ左へ、もんどりうって転がり悶えていたら、コンコン、とノックの音がした。

 

 

 

「入ってます」

 

 

 

「……俺だけど」

 

 

 

「イルミ?ちょっと待って、今開けるから!」

 

 

 

イルミの写真を金庫にしまい入れ、ガチャ、と鍵をあけて開いたドアの向こう。

 

 

 

現れたイルミは、非常ーに渋い顔をしておられた。

 

 

 

「ポー……」

 

 

 

「ど、どうしたのイルミ!今日はお休みなんでしょ?もしかして、急な仕事が入っちゃった?」

 

 

 

「違う。また、例の写真見てただろ。喘ぎ声と叫び声が廊下の果てまで響いてる。恥ずかしいから、やめてよね」

 

 

 

「えー、だって……」

 

 

 

「やめてよね」

 

 

 

「わあっ!?どど、どっからエノキ出したの!?わ、わかったよう、今度から気をつけるから、機嫌直して。ね?」

 

 

 

「!」

 

 

 

ぎゅ、と抱きついた途端、それまでイルミの眉間に小さく刻まれていたしわが、すうっと消えてなくなった。

 

 

 

よし、成功。

 

 

 

今までは、こんな風に抱きついても鬱陶しがられるだけだと思い込んでいたけれど、意外と喜んでくれていることが最近わかったので、たまに思い出しては、することにしている。

 


 

ちょっとしたいさかいを解消するには、うってつけだ。

 

 

 

「で、用はそれだけだった?」

 

 

 

「ううん。実は、ポーに折り入ってお願いがあるんだ。ある侵入先についてなんだけど、力を貸して欲しい――」

 

 

 

「えっ、お仕事の相談?珍しいね、いいよ。私でよかったら何でも言って

 

 

 

「ありがとう」

 

 

 

 

 

 

                     

 

                  

 

 

 

                      ***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――で、その侵入先だけど、場所はヨークシン、南区にある繁華街の一角。交通量の多い道路に面している上に、人通りも多い。最もやっかいなのは、侵入すべき時間帯が、午後ニ時から五時までの三時間に限られているという点だ」

 

 

 

「ふむふむ」

 

 

 

パソコンで見たほうがわかりやすいというので、二人してソファにこしかけ、ノートパソコンをのぞき込んでいる。

 

 

 

イルミの白い手元が、ピアノを弾くよりも優雅に、四角いキィの列を滑っていく。

 

 

 

「それって、いつもみたいに夜中にこっそり忍びこむことが出来ないってことだよね?でも、だったらイルミお得意の変装で、堂々と正面突破しちゃったらいいだけなんじゃないのかな?」

 

 

 

素人考えだけど……だって、私は暗殺者じゃないんだもん。

 

 

 

プロの殺し屋のイルミの相談を受けるだなんて、本当は荷が重いのかも知れない。

 

 

 

でも、イルミは別段気を悪くするふうでもなく、淡々と検索サイトを開きながら言った。

 

 

 

「うん。普段の俺ならそうするんだけど、今回はそうも行かなくてね。場所が場所だけに……だから、正直、困ってるんだよ」

 

 

 

「侵入先って、どこなの?」

 

 

 

「ここ」

 

 

 

タン、とEnterキィを打つ。

 

 

 

パッと画面上に現れたその場所に、私は――

 

 

 

「……え、ここって、イルミ?」

 

 

 

「《ガレット・デ・ロワ》。ヨークシンでも指折りの、有名老舗洋菓子店だ。土日祝日除く、三時間のみの食べ放題。女性限定っていうところが、ミソなんだよねー。でも、俺、この店の昔からのファンでさ。どうしても食べに行きたい。そこで、ポーには“嘘つきな隠れ蓑(ギミックミミック)”で俺の姿を隠して、このケーキバイキングに参加してもらいたいんだけど」

 

 

 

「却下」

 

 

 

「えー、どうして」

 

 

 

びっくり、と言わんばかりに目を見開くイルミ。

 

 

 

「甘いもの好きなんじゃないの?奢るよ?」

 

 

 

「じゃなくて!!考えてもみてよ、それって一人で二人分食べるってことでしょ?私も食べるし、甘いもの大好きなイルミも食べる!!そんなの、どれだけの量になると思ってるの、恥ずかしいじゃない!ダメ!そんなの絶対やらないっ!!」

 

 

 

「……仕方ない。なら、やっぱり金に物を言わせて買い取るしかないか」

 

 

 

「そんなことしたら、ゾルディック家が世間一般から大顰蹙を買うと思うんだけど、いいの?」

 

 

 

「……」

 

 

 

ガク……ッと、糸の切れたマリオネットのように、項垂れるイルミである。

 

 

 

「ポー……」

 

 

 

「諦めたまえ、イルミくん」

 

 

 

「…………お願い」

 

 

 

するっと前に回ってきたイルミの腕が、精一杯の優しさを込めて抱きしめてくる。

 

 

 

「ズ、ズルいよ!!そんなことされたら断れなくなるじゃない!!」

 

 

 

「ポー、お願い……今回は本当に力を貸して欲しんだ……。この店の店長、物凄い堅物な職人だから、どんな上顧客でも関係なく、一日に購入できるケーキの個数が決まってて……今回のバイキングは、創立300年ってことで、本当に特別なんだよね……俺、子供の頃からここのケーキをは、腹いっぱいになるまで食ってみたくて……!!」

 

 

 

「泣いてる!!?そんなに!!?ああ……もう、わ、分かったから、気持ちは充分伝わりました!」

 

 

 

「じゃあ、一緒に行ってくれる?」

 

 

 

「いいよ。でも、念能力で隠れていくっていう案はダメ。意地悪じゃなくて、それだと時間的にせいぜい30分が限界なの。私のオーラは目にみえないっていうのが最大の特徴でしょ?だから、一般の人の目にも可視化させる“嘘つきな隠れ蓑”は、オーラの消費量が最も多くて継続しにくいわけ」

 

 

 

「……じゃあ、どうするの?」

 

 

 

「一緒に行こうよ。正面突破で!ほら、前に奈々実ちゃんやトモちゃんと飲み会やったときに言ったでしょ?イルミの身体を針で操作するの!針だけだと、大幅な骨格の変化までは難しいだろうけど、私の念のバクテリアで、成長ホルモンや女性ホルモン、ありとあらゆるホルモンバランスを調整すれば、外見だけならなんとかなると思――」

 

 

 

「やっぱりいいよ。自分で手を考える」

 

 

 

「待って!!いいじゃない、一緒に行こうよー!!だいたい、そんなの見せられたら私、普通に行きたくなっちゃったし。イルミが行かないって言うなら、大学の学生さん達誘って一人で行っちゃうよ?

 

 

 

「……!!!!!」

 

 

 

うわあ、くやしそう。

 

 

 

真顔で頭かきむしるイルミなんてはじめて見た。

 

 

 

その後、長い、長い、沈黙があった。

 

 

 

イルミは、彼なりに、彼なりの理由で、悩んで、物凄い葛藤をしていたんだと思う。

 

 

 

お昼ごはんですよーって、キキョウさんがいくら叫んで呼んでも、イルミは頭を抱えたまま動かなかった。

 

 

 

だから、私も動かなかった。

 

 

 

ソファに腰掛け、イルミの胸に背もたれて、彼の鼓動を聞いていた。

 

 

 

そうすることで、少しでも気持ちを知れたらって、思っていたんだ。

 

 

 

そりゃあ、男の子なら誰でも、女装なんか恥ずかしくって嫌だろうけど。

 

 

 

なんか、イルミの場合はそれだけじゃないような気がするんだよね。

 

 

 

トラウマ……っていうか、なんて言うか。

 

 

 

あの写真の中のイルミが、どうして今ある彼になったのか。

 

 

 

本来持っていたはずの、多くの表情をなくしてしまったのか。

 

 

 

もう少し、もう少しだけイルミの心に近づけたら、きっと分かる――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                    ***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ポー」

 

 

 

ゆさゆさ。

 

 

 

「ポーってば、起きてよ」

 

 

 

ゆさゆさゆさ。

 

 

 

「うーん……」

 

 

 

華奢な手のひらに肩を揺すぶられ、ソファの上で目を覚ます。

 

 

 

「ポー」

 

 

 

窓から差す午後の光を背に、黒のハイネックを着た、知らない女の人が私の顔をのぞき込んでいた。

 

 

 

「……誰?」

 

 

 

寝ぼけた頭が一瞬で覚醒するくらい、それくらい、もの凄い美人さんだった。

 

 

 

カルトくん、にしては、歳が上すぎる……キキョウさん、にしては、失礼ながら歳が若すぎる……二十歳、後半にさしかかったくらいの、黒髪ロング、猫みたいなパッチリ目の、お姉さん。

 

 

 

「ランさん……?」

 

 

 

「違う。あんな年増と間違えるの、止めてくれる?ていうか、ポーが言うから無理してやってみたのに、昼寝した程度で忘れちゃえるくらい些細なことだったんだ。そんな頭なら、なくてもいいよね?」

 

 

 

くりっ。

 

 

 

「……イ」

 

 

 

「……」

 

 

 

「イルミ---ッッ!!?なな、な、ほ、ほんとにイルミ!?うっわあ、ゴメン!全然分かんなかった!!」

 

 

 

「本当に酷いよね。言い出しっぺが忘れてるんだから」

 

 

 

ふう、と赤い唇から、ため息を吐くイルミ……うっひょおおう色っぽい!!

 

 

 

「ご、ごめん……でもさ、正直、針だけでこんなに完成度が高かったら、私が手を貸す必要なんてなかったね?」

 

 

 

「そんなことないよ。ほら見て、脱いだらすごいから」

 

 

 

「ひ……っ!?」

 

 

 

バッとめくり上げられたハイネックセーターの下を見て、私は思わず悲鳴を上げそうになった。

 

 

 

「い、痛い痛い痛い!!!それはいくらなんでも痛いよ!!慣れてるからってレベルじゃないよ……!!ゴメン、イルミ、無理させてゴメン!!!」

 

 

 

「泣かないでよ、大丈夫。痛覚麻痺させてるから、痛みは全然ないんだよ?ただ、骨格を無理に縮めてるし、全身の筋肉を操作して、針で固定してるから動きづらい。全身に、バネの強制ギプスはめてるみたいって言ったら、分かるかな?」

 

 

 

「う、うん……なんとなく。でもイルミ、ほんとに、後でなにが起こるか分からないから、あんまり無茶なことはしないでね?」

 

 

 

「うん。ごめんね。どうせやるなら、ポーがびっくりするまでやってやろうと思ったんだ」

 

 

 

「ビックリしたよ、心臓が止まるかと思った」

 

 

 

「そう、よかった」

 

 

 

「あ……」

 

 

 

そう言って、イルミはいつもするみたいに、少しだけ目を細めて見せたんだけど――女性になってるからだろうか、いつもよりずっと柔らかく、まるでそう、微笑んでくれたように見えた。

 

 

 

「ポー?」

 

 

 

「あっ!ご、ゴメン、ええっと、じゃあ……まずはホルモンバランスの調整から試してみようか。女性ホルモンを一時的に増幅させれば、外観はかなりかわるはず。そしたら、筋肉を無理に固定してる分の針は減らせるよね?」

 

 

 

「うん。うまく行けば、それで八割は外せるはずだ。骨格を操作して、身長を低くするだけなら、十本程度ですむ

 

 

 

「残り時間は、ヨークシンまで行く事を考えても一時間ってとこか……イルミ、私の研究船に乗って、微調整はその中でやろう。時間短縮になるし」

 

 

 

「それはいいけど、一つ問題があるんだよね」

 

 

 

「何?」

 

 

 

くりっと、首をかしげて、イルミはダブダブに余った袖を持ち上げた。

 

 

 

「ポーの服、貸してくれない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     ***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時刻は一時半。

 

 

たどり着いた侵入先、老舗洋菓子店《ガレッド・デ・ロワ》には、通常では考えられないくらいの行列が出来ていた。

 

 

 

バババババ……。

 

 

 

ビル街に反響するプロペラ音に顔を上げれば、TV局かなにかの小型飛行船まで飛んでいる。

 

 

 

丁度、船はミラーウォールに映る青空を、ゆったりと横切っていくところだった。

 

 

 

真後ろに立つイルミを、私は振り返る。

 

 

 

「1キロの行列だって。ほんとに、どんなケーキ屋さんなの!?」

 

 

 

「だから、超有名な老舗洋菓子店。店長だけでなく、家族全員がパティシエなんだよ。五人の姉妹がいて、それぞれが各大都市に店舗を持ってる。それ以外のチェーン店は一切なし。店に出す全ての商品を、各店のオーナーパティシエ一人で作ってるから、工房から出てくることはまずありえない。おかげで、誰も姿を見たことのない、幻のパティシエ一家って呼ばれてるんだ」

 

 

 

「……イルミ、ここに生まれてればよかったね」

 

 

 

「ううん。俺は食べるの専門でいいや」

 

 

 

言ってから、イルミはくりっと首を傾げた。

 

 

 

「間違えた。わたし、だったよね?」

 

 

 

「……」

 

 

 

「どうしたの、ポー」

 

 

 

おかしかった?と、またもや、くりっ。

 

 

 

……ヤバイ。

 

 

 

可愛すぎる!!

 

 

 

そして、イルミのワンピース&スキニージーンズ姿奇麗すぎるうううううあああああ!!!!!

 

 

 

更に!!

 

 

 

くりっと、彼、いや、彼女が首を傾げる度に、くるんっ、と揺れるシングル編み込み型の三つ編みがーーーーーーー!!!

 

 

 

「ポー、鼻血」

 

 

 

「嘘っ!うう、ゴメン……イルミ、もう、可愛すぎてずっと直視していられる自信がないよ……!!」

 

 

 

「大袈裟な……」

 

 

 

「大袈裟じゃないよ!!イルミ、いい?どんな男の人に声をかけられても、絶対に

目を合わせたり、会話しちゃダメだからねっ!」

 

 

 

「わかってるよ」

 

 

 

はあ、とため息ひとつ。

 

 

 

片腕を上げ、顔にかかる髪をすっと、白い耳の後ろへかける……途端、うおおっとばかりに通りすがりの兄ちゃんが振り向き、ニヤニヤと笑いかけ――

 

 

 

「ねえ、そこのお姉さ……ぐほっ!?」

 

 

 

「……」

 

 

 

地面に倒れた。

 

 

 

なんででしょうねぇ、不思議不思議。

 

 

 

「ポー、今、触手」

 

 

 

「行こっか、イルミ。そろそろ並ばないと、入れなくなっちゃいそうだし」

 

 

 

「……うん」

 

 

 

こっくり。

 

 

 

頷いて、イルミは私の手を取るなり、長い行列の最後尾、ではなく、最前列に近づいていった。

 

 

そして、一番前に並んだ二人の女の子から、整理券を二枚、受け取ったのである。

 

 

……え?

 

 

 

「ありがとう。二人とも、もう行っていいよ」

 

 

 

『はい、イルミさま……』

 

 

 

……あれ?

 

 

 

「き、きき、気のせいかなあ~?今、あの二人の女の子の額のど真ん中に、エノキっぽいのが刺さってたような気がしたんだけど」

 

 

 

「気のせいだよ?さて、これで一番前に並べたね。整理券順だから、別に順番抜かしにはなってないよ。ただ、ちょっと代行役を立てただけ」

 

 

 

「だだだ、大丈夫なんだよね?ほんとに、あの子達、頑張りすぎて死んじゃうってことないよね!?」

 

 

 

「うん」

 

 

 

こっくり、頷くイルミを……取り敢えず、信用しておくことにする。

 

 

 

やがて、カーン、カーン、と、洋菓子店の屋根に取り付けられた、時計塔の鐘が鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                    ***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ではこれより、《ガレッド・デ・ロワ》創立300年を記念したスイーツの祭典、三時間限定スイーツビュッフェを開幕させていただきます。なお、当店の店名ともなっております、ガレッド・デ・ロワにちなみまして、今回の限定ビュッフェには面白い趣向をこらしております。皆様、あの時計塔を御覧ください。頂きに、黄金の天使の像が御座います。あの像を模した陶器の人形、『フェーヴ』が、期間中に出されるケーキのうちのどれかに、ひとつだけ紛れ込んでおります。『フェーヴ』は幸運の象徴。見事、引き当てられた幸運なお客様には、オーナーより特別な贈り物が御座いますので、どうぞ、お申し出下さいませ……あ、申し遅れました、私――」

 

 

 

「うるさいっ!!そんなのどうでもいいよ!!」

 

 

 

「そうですよ。さっさと突撃しましょう」

 

 

 

へ?

 

 

 

うおわわああああああああっ!!?

 

 

 

な、なになに!?後ろからものっすごい力で押してくる人たちがいる!!!

 

 

 

ど、どっかで聞いたことがあるような声なんだけど、人が多すぎてわかんないや。

 

 

 

ともあれ、人並みは怒涛の津波となってお店のスタッフさんをおしのけ、店内へとなだれこんだ!!

 

 

 

「イルミ!」

 

 

 

「ポー、こっち。大丈夫、ガラスケースに一番近い所に席、確保した」

 

 

 

「さ、流石……はあ、それにしてもびっくりしたねー」

 

 

 

「うん。凄い執念だね。女の人って、こういうイベントだとみんなそうなの?」

 

 

 

「皆ってわけじゃないと思うんだけど……バーゲンセールとか、凄いよ。前に、ワゴンセール品狙ってるキキョウさんについてったことあったけど、あれは地獄絵図だった」

 

 

 

「そう。女の人も結構大変だね」

 

 

 

「でしょ?さーて、それじゃあさっそく、ケーキ捕りにいこっか!よーし、今日は食べるぞー!!」

 

 

 

「うん」

 

 

 

すくっ、と立ち上がった私とイルミ。

 

 

 

お皿片手に、いそいそとやってきたガラスケースの中には――

 

 

 

「うわああああああああ!!美味しそうっ!!見たことない種類のケーキもいっぱいあるうううっ!!」

 

 

 

「うん、すごい。美味しそうだね。ポーは何食べる?お……わ、たしが、取ってあげるよ」

 

 

 

「!!???」

 

 

 

「ポー、鼻血」

 

 

 

「ご、ごめ……!!」

 

 

 

「待って。はい、ハンカチ」

 

 

 

スキニージーンズのポケットから、さり気ない仕草で手渡されたハンカチは、レースの縁取りのある薄い菫色で、やわかくて、奇麗で、いい匂いがして――

 

 

 

うおおおおおおおおおイルミの女子っ!!

 

 

 

イルミの天然女子――――っっ!!!!

 

 

 

私の様子を気遣いながらも、イルミは人気のありそうなケーキをしっかりキープして、ちゃんと私の分のお皿にまで乗っけてくれてる。

 

 

周りのお客さんだって、イルミがあんまり奇麗だから、思わずその立ち居振る舞いに、ほうっと頬を赤くして見入ってる……!!

 

 

 

「負けた……」

 

 

 

イルミがこうなったらそりゃあ奇麗だろうって、分かってたけど……違うんだ。

 

 

 

中身だ。本当に負けたのは、中身の方なんだ。

 

 

 

女の子らしい気遣いとか、仕草とか、おしとやかさが私には微塵もないんだーーー!!!

 

 

 

「ポー、なんで泣いてるの。大丈夫?」

 

 

 

「……大丈夫じゃない!イルミ、なんで?なんで女の子になるのは初めてなのに、私より女の子らしいの……?もう、なんか色々自信なくなった……っ!!」

 

 

 

「……あのね、ポー」

 

 

 

はあ、と、ため息一つ。

 

 

 

イルミは泣きじゃくる私の手からお皿を取り上げて、テーブルに座らせた。

 

 

 

「はい、お水飲んで」

 

 

 

「……っ、ごめ……!」

 

 

 

「あやまらなくてもいいから、落ち着いて聞いて。ねぇ、海月。俺、父さんにゾルディック家の殺人人形にされる前は、母さんの着せ替え人形だったんだよ。俺は、初めての子供で、でも、銀髪でもないし、変化系の素質もなかったから、親の遊び道具にされてたわけ。女の子みたいに、躾けられたこともあった」

 

 

 

そんなことを、イルミは僅かも表情を変えず、淡々と言った。

 

 

 

濡れた私の頬にハンカチがあてがわれる。

 

 

 

「……」

 

 

 

「俺が女の子らしく振る舞えるのはそのせいだ。だから、海月が気に病む必要なんてないんだよ。俺から見たら、充分可愛いと思うしね」

 

 

 

最後に、ぽんぽんと頭を撫でてくれる。

 

 

 

イルミ……。

 

 

 

イルミ、私……。

 

 

 

「……泣かないでってば」

 

 

 

「ごめ……っ、わ、私、イルミが……イルミ、嫌だって、言ってたのに……あの写真、捨てちゃいたいって、言ってたのに……!」

 

 

 

「……」

 

 

 

「い、今だって、女装なんて嫌だってあんなに悩んでたのに、無理矢理――痛っ!!」

 

 

 

「ポー」

 

 

 

それまでゆるりと頭を撫でていたイルミの手が、急に乱暴に髪を掴んだ。

 

 

 

キスされる、そう思った時にはもう、イルミの顔がすぐ側にあって。

 

 

 

温かい舌が、眦からみっともなく流れ落ちる涙を、なめとっていった。

 

 

 

「イル……ミ……」

 

 

 

「ポーの馬鹿」

 

 

 

抱きしめられる。

 

 

 

いつもより、細い、でも、いつもよりずっと優しい、イルミの腕。

 

 

 

「大好きだ……」

 

 

 

「イ……ルミ……私も……」

 

 

 

きつく、その背中を抱きしめ返したときだ。

 

 

 

なんだか……こう、しーんとしている気がした……お店の中が。

 

 

 

くりっと、首をかしげるイルミ。

 

 

 

「あ、しまった。今は女の子なんだった」

 

 

 

「へ……?」

 

 

 

改めて周りを見回してみると――

 

 

 

ひゅ~~~~う❤

 

 

 

……そんな、雰囲気で。

 

 

 

「ふーん。あその二人……そういう関係なんだね」

 

 

 

「今流行の百合ってヤツですねー。初めてみました」

 

 

 

あああああ……ッ!!?

 

 

 

ち、ちが、違うんです違うんです!!そこの紫の髪のクールでシャープなお姉さんと、黒髪メガネのお姉さんっ!!!

 

 

 

誤解なんですう~~っ!!!

 

 

 

あれ、でもあの二人、どっかで見たことあるような……。

 

 

 

「ポー、よそ見禁止」

 

 

 

ぐいっ!!

 

 

 

「ダメだよ、わたし以外の女の子見ちゃ」

 

 

 

「はいっ!?」

 

 

 

「ほら、涙拭いて。ケーキ食べないと、食べ放題なのにもったいないでしょ。仕方のない子。わたしが食べさせてあげる」

 

 

 

「イ……イルミ、さん?」

 

 

 

「とりあえず、定番のショートケーキでいい?はい、あーん」

 

 

 

「……イルミ」

 

 

 

「なあに?」

 

 

 

くりっ。

 

 

 

「くりっじゃない!!さっきからワザとやってるでしょーーーーーー!!!」

 

 

 

「バレた?」

 

 

 

てへ、とばかりに舌を出すイルミに、店内のお客さんの中から悲鳴と歓声、さらには、ばったばったと気を失う人が続出する始末……。

 

 

 

だ、ダメだ、このままじゃ死人が出る!!

 

 

 

「流石……暗殺一家ゾルディック家長男、イルミの女装。一般の皆さんには刺激が強すぎる……こうなったら仕方ない!」

 

 

 

“見えない助手たち(インビシブルテンタクル)”!!

 

 

 

見えない触手で、ガラスケースの中のケーキを大量ゲット!

 

 

 

さらに……。

 

 

 

“嘘つきな隠れ蓑(ギミックミミック)”で、見えなくして――

 

 

 

「これだけあれば充分でしょ!イルミ、行くよ!」

 

 

 

「えー、外で食べるの?」

 

 

 

「だって、このままじゃ出血多量で死人が出るでしょ!?」

 

 

 

「ちぇ。分かったよ」

 

 

 

すっと、席から立ち上がったイルミは、極めつけにさらり、と長い三つ編みを解き、一段と濃厚な女性ホルモンを振りまいた。

 

 

 

「きゃあああああ~~!!!❤❤❤」

 

 

 

「……」

 

 

 

店を埋め尽くす女性客たちを、ばったばったと容赦なく失神させながら、

 

 

 

「どうしたの?行くよ、ポー」

 

 

 

「……うん」

 

 

 

道を切り開いていく。

 

 

 

そんな、壮絶に美しいイルミ姉さまの手を、私は真っ赤になって握りしめたのでありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     ***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや~、凄かったですね。あの二人」

 

 

 

「シズク、見過ぎだよ。ああいうのは、そっと見守ってやるのがマナーってもんだろ?」

 

 

 

「でも、やっぱりあれだけ目立つと見ちゃいますよ。しかも、あの子……念使いだよね」

 

 

 

「おそらくね。なんの能力かは、さっぱり分からなかったけど。見事な手際だった……ま、アタシ達の敵ってわけじゃなさそうだし、関係ないね。それより、シズク」

 

 

 

「はい。そろそろ、この子の出番ですね。デメちゃん!」

 

 

 

ボン!

 

 

 

半機半獣。

 

 

鋭い牙と、唾液にまみれた長い舌……そんな、不気味な生き物の出現に気がついたものは、誰もいなかった。

 

 

 

すう、と、シズクは息を吸い込む。

 

 

 

「“この店のケーキを、全部吸い取れ”!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                    ***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ショートケーキ、シフォンケーキ、モンブラン、ロールケーキ、ガトー・ショコラ、ヴァランシア、ム-ス・オ・フレーズ、フォレ=ノワール、ミル=フイユ、サヴァラン、アマンド・ショコラ 、シュークリーム、チョコエクレア、パリ-ブレスト、ベニエ、レアチーズケーキ、カマンベール、タルト・タタン、キルシュ・トルテ、シブースト、フロランタン リンツァートルテ、エンガディナー、エッグタルト、フルーツタルト、ザッハトルテ、クロッカンブッシュ、ティラミス、ミルクレープ、ミルクケーキ、ガトー・ア・ラ・シャンテリー……。

 

 

 

「も~ダメ!お腹いっぱーい!」

 

 

 

「お、わ、わたしも」

 

 

 

バタ……ッ!

 

 

 

と、二人して仰向けに倒れこむ。

 

 

 

芝生のチクチクした葉の先が、頬や首すじにあたってくすぐったかった。

 

 

 

ケーキを抱えてお店を脱出した私とイルミは、ヨークシンシティの中心に、ぽっかりと空いた緑の空間(テラリウム)――そう、私の世界にあった、ニューヨークのセントラムパークみたいな公園にきていた。

 

 

 

そこの湖の近くに座って、売店で買ってきたアイスティーを片手に、山のように積んだケーキを次から次へと平らげていったわけなんだけど。

 

 

 

「ちょっと余っちゃったね」

 

 

 

イルミが、アイスティーの残りを飲み干しながら言う。

 

 

 

「仕方ないよー、無理に詰め込むのはもったいないもん。持って帰って、ミルキくんやカルトくんへのおみやげにしよう?ちょうど、5つあるし。残りの3つは、シルバさんと、キキョウさんと、ゼノさんの分!」

 

 

 

「えー。明日わたしが食べるよ」

 

 

 

「イルミはお腹いっぱい食べたでしょ?美味しいものは、みんなで食べるから美味しいんだよ。今日のケーキバイキングだって、イルミ一人でもいけたけど、そうしなかったのは、私がいた方がよかったからでしょ?」

 

 

 

「うん……そうだね」

 

 

 

こっくり、頷いて、イルミは仰向けになったまま深呼吸した。いつの間にか、瞼を閉じている。

 

 

 

「ポーも、そうなの?」

 

 

 

「え?」

 

 

 

「初めてうちに来たとき、カルトに話してたでしょ。家族のこと……家族と一緒にご飯食べたりするの、嬉しいって。やっぱり、今でも同じように思ってる?」

 

 

 

「うん。ゾルディック家は楽しいよ。ちょっと怖いことも、たまにはあるけど……でも、一人でいた頃は、何を作って食べても美味しいと思ったことがなかったから。今のほうが、ずっと好きだな」

 

 

 

「そうなんだ。うちが楽しい、なんて……ポーは……変わってる、よね……」

 

 

 

「イルミ?」

 

 

 

「……なんだか、眠い。ポー……もしかして、だけど、わたしに……なにかした……?」

 

 

 

「うん。さっき買ってきたアイスティーに、念のバクテリアを仕込んでおいたの。ホルモンのバランスをゆっくり元に戻すように指示してある。そのままの姿で帰れないでしょ?ちょっと眠っちゃうかもしれないけど、目が覚める頃にはもとの性別に戻ってるよ。あとは、飛行船に戻って、着替えてから針を抜こうね。でないと、今着てる服じゃちいさいと思うから」

 

 

 

「ほんと……に、かなわない、な。殺し屋……な、のに、俺――」

 

 

 

「ごめん。言ったら、警戒して緊張しちゃうかもって思って。気を張ってると、バクテリアの働きが鈍くなっちゃうんだよね」

 

 

 

「……ふふっ。海月、になら、俺のこと……殺せる、かもね」

 

 

 

「え……っ?」

 

 

 

イルミが笑った。

 

 

 

目を閉じたまま、彼の表情は、まるで夢でも見ているようだった。

 

 

 

でも、間違いない。

 

 

 

口元を、花のようにほころばせて、幸せそうに――イルミは笑ったのだった。

 

 

 

「しないよ、そんなこと」

 

 

 

私は身を起こし、眠りに落ちたイルミの頭をそっと持ち上げる。

 

 

 

膝の上へ置いても、彼女は目覚めない。

 

 

 

彼女――でも、じきにそうは呼べなくなる。

 

 

 

頬や唇、ワンピース越しにも分かるほどの胸や、脚の曲みが、空気でも抜くように失われていく。

 

 

 

かわりに、発達した筋肉の線が、砂州に走る風紋のように広がった。

 

 

 

イルミが眠っているあいだ、私は、いつもよりあどけない彼の寝顔にすっかり見入ってしまっていた。

 

 

 

暮れないなずむ、遠くの空に鐘の音が鳴る。

 

 

 

時刻は四時。

 

 

 

あのケーキ店にあった時計塔かもしれない。幸福を招くという天使の像は、一体、どんな人に渡ったんだろう。

 

 

 

私には当たらない方がいい。

 

 

 

もう充分なくらい幸福だから。

 

 

 

これ以上満たされたらきっと、失うことが怖くなるだけだ。

 

 

 

私の幸福はイルミがくれる。

 

 

 

イルミがいてくれるだけでいい――本当は、それでもう充分なのだ。

 

 

 

笑ったり、泣いたり、もっと、この人の違った表情を見てみたい。声が聞きたい、感情をぶつけられたい……そんなことを求めるのは、きっと欲が深すぎる。

 

 

 

「……イルミ、ごめんね。私がイルミに女の子になって欲しかったのはね。そうしたら、あの写真の中のイルミみたいに、また笑ってくれるんじゃないかって思ったからなんだ。馬鹿だよね……わかりにくくっても、イルミはいつも笑ってくれてたのにね。でも、どうしても見たかった……」

 

 

 

見たかった。

 

 

 

知りたかった。

 

 

 

私が出会えなかった頃、イルミがどんな風に笑っていたのか。

 

 

 

どんな――心を持っていたのか。

 

 

 

「目が覚めたら、ちゃんと謝らないとね」

 

 

 

風に煽られ、イルミの黒糸が散った。頬にかかったのを、人差し指ですくい上げる。

 

 

 

すう、と薄い瞼が開いた。

 

 

 

「……」

 

 

 

「イルミ、大丈夫。気分悪くない?」

 

 

 

うん、と答えるかわりに、イルミの首がかくんと動いた。

 

 

 

なんだか、小さな子どもがするように。

 

 

 

「イルミ……」

 

 

 

「海月……俺、夢をみたよ」

 

 

 

「夢?」

 

 

 

「うん。子供の頃の夢……夢の中で俺は、あの写真を撮った頃の俺に戻ってる。記憶に、今ある意識だけをぴったり当てはめたような、不思議な夢だった。それで、思い出したんだ……あのとき、俺、笑ってたけど。本当は悲しかったんだよ」

 

 

 

「悲しかった……?なんで、嫌じゃなかったの。着せ替え人形に、されてたこと」

 

 

 

「うん……そのときだけは、自分が殺し屋だってこと、忘れられたからね。鏡の中に、いろんな格好をした俺が映る度に、俺が俺でなくなることが楽しかったんだよ。だから、あの写真を撮った後、これが最後だって分かってたから……俺は、泣いたんだ」

 

 

 

「――」

 

 

 

「俺達は、暗殺者の教育のためと、なにより、高額の身代金目当てのブラックリストハンター達に狙われないよう、幼少期のほとんどは、外界から遮断された敷地内でしか過ごせない。だから、子供の頃の俺にとっては、それが母親に甘えられる唯一の時間であり、遊びだったんだ。たとえ、人形遊びでもね」

 

 

 

「……私、そんな大事なこと聞いて、よかったの?」

 

 

 

「うん。聞いておいて欲しい。俺さ、昔の俺がどんなだったか、もう、全然覚えてないんだ。昔の写真を見たときも、なんでこんな顔が出来ていたのか、分からなかった。……ときどきね、いつか、今ここにある俺も、知らないうちに全部忘れてしまうんじゃないかって思うんだ。表情も、感情も、そうやっていつの間にか無くなっていったから」

 

 

 

「そうかな……でも、イルミは出会った頃よりずっと色んな顔してくれるようになったんだよ?」

 

 

 

空を見つめるイルミの瞳に、私の顔が写っている。それが、水面のように揺らいだ。

 

 

 

「海月がいたからだ……海月が、俺を選んでくれたから。今まで、自分の一部がなくなったり、欠けたりしても、なんにも未練なんかなかったけど。俺……今の俺がなくなってしまうことが、一番怖い」

 

 

 

イルミの眦から零れ落ちた涙は、頬を滑って、私の手のひらにも染みこんだ。

 

 

 

イルミの手が重なった。その手ごと、私はキスをした。

 

 

 

涙は海の味がする。

 

 

 

「知っていて……昔の俺も、今の、俺のことも……」

 

 

 

「うん。わかってる。忘れるわけないじゃない。今までのイルミがどんなだったか、今のイルミのことも、全部覚えてる。イルミが忘れても、思い出させてあげる……だから、大丈夫だよ!」

 

 

 

くしゃっと、髪を混ぜてやると、イルミはちょっとだけ迷惑そうな顔をして、そして――

 

 

 

「海月、」

 

 

 

「な……んっ!」

 

 

 

ありがとう、と、深いキスの合間に囁いたのだった。