ある夜のポーの冒険!1

 

 

 

今夜はイルミが家に帰ってくる!



……はずだったのに。



「……そっかあ、続けてお仕事が入っちゃったんだ」



『うん。ごめんね』



受話器から聞こえてくるイルミの声は淡々としていてそっけない。



感情という感情が欠落している、そんな雰囲気だ。



普通の人が聞いたなら、『本当に悪いと思ってるの!?』なんて、怒こり出しても仕方がないだろうけど。



私には分かった。



イルミの機嫌が、今、ものすごく悪くて、ものすごくムカついてて、そして、なによりもものすごく落ち込んでるってことが。



うん。



受話器から不穏なオーラが滲み出してるよ!



「イルミ……そんなに怒らないで。大丈夫だから」



『なにが大丈夫なの?このところ仕事続きで、やっとのことで休みをとっても、急な仕事が入って会えなくなることが大丈夫なんだ?ふーん。あっそう』



「そんなこと言ってないじゃない!私だって会いたいと思ってるけど――」



『けど』



「お……お仕事なんだから、仕方ないでしょう?」



『……』



返事のかわりに返ってきたのは、長い長いためいきだった。



うう……イルミ。



これはほんとに限界っぽいな。



イルミがこんなになるまでこき使うだなんて、いくらなんでも酷いよ!



おのれシルバさん……と、直談判に行きたいのは山々なんだけど、実はそのシルバさんもただ今お仕事の真っ最中。



ちなみに、キキョウさんもゼノさんもカルトくんも、マハさんまでもがお仕事中です。



あのミルキくんまでもが――もう、一週間近く部屋から出てきてない。



ただ今、暗殺一家ゾルディック家大繁盛の真っ盛り。



暇な人なんて誰もいないし、誰に仕事を押しつけているわけでもないんだよねー。



はああ……。



イルミのためいきにためいきで返す。



だって、会いたいのは山々だけど、どうしようもないんだもん……。



それは、本当はイルミにだって分かってるんだ。



ああもう、なんで私はこんなにも無力なんだろう。



もしも、もしも私が――



「……イルミ、ごめんね」



『なんで海月が謝るの。悪いのは俺だ。さっきの、完全にやつあたりだった。ごめんね……仕方がないのは、頭では分かってるんだけど、イライラして』



「ううん。きっと、私が悪いんだよ。私が、殺し屋になってたらイルミと一緒に仕事をすることだって出来てたのに……」



『馬鹿なこと言わないで。そんなわけないだろ。山のようなノルマを押しつけられるだけだ。それに、前にも言ったけど、俺は海月を殺し屋にするつもりはないよ』



海月には、海月のままでいてほしいからね。



そんな囁きに、鼻の奥がつんと痛くなる。



ごめんね……と、受話器の向こうからイルミは少しだけ掠れた声で言った。



『海月に会いたい。だから、もう少しだけ頑張るよ』



「……うん。ありがとう、イルミ。私も、今のうちに研究のまとめというまとめを終わらせておくから、次のお休みには絶対に合わせるからね」



『うん』



「……」



『……』



「……イルミ、私も会いたい」



『……うん』



ありがとう、そんな呟きを最後に、通話は途切れた。



きっと、次の仕事先に着いてしまったのだろう。



これでまた、当分はイルミの声もきけなくなるんだなあ。



あーあ。



「……会いたいよ、イルミ」



会いたい。



声を聞いたら、思いは余計に強まるばかりだ。



会いたい、イルミに会いたい。



あのすらっとした脚に膝枕して寝転がって、真っ黒な長い髪にじゃれついて叱られたい。



指で軽く頬を摘ままれた後に、温かい手のひらで撫でられたい。



唇や、首筋をからかうようにくすぐられて。



みじろいだ隙に、いつの間にかベッドの上に押し倒されていて。



驚いて目を見開くと、勝ち誇ったイルミの顔があって。



キスをされて、キスをして。




「……イルミ」




愛されたい。



愛されたい……イルミに。



「会いたいよぅ……」



少しでいい。



ほんの少しの間でもいいんだ。



イルミの傍にいたい。



「……そうだ。さっきの電話」



ふと、あることに気がついて、私はベッドにつっぷしていた顔を上げた。



イルミは、次の仕事場に移動している最中だったんだ。



彼が連絡を入れてくるタイミングは、いつも移動中の飛行艇の船内か、仕事上がりと決まっている。



だったら……。



「そうだ!例えば、イルミの飛空艇の中に私が待機してればいい話なんじゃないの!そしたら移動中だけでも一緒にいられる!」



さっき、イルミはこの後の仕事の他にも二件依頼が入ってるって言ってた。



どちらも離れているから、移動時間がかかってしまって、いったん家に戻っている余裕もないって。



だったら、今から行って彼の飛行艇が停泊している空港で待ってれば、イルミに会えるに違いない……!!



「そうと決まれば、今すぐ出発!大丈夫、邪魔になるからダメだって言われたら、そのときは大人しく帰ればいいんだもんね。ダメもとダメもと!」



言いながら、携帯に電話番号を入力。



かかった相手は――



『はい☆』



「ヒソカさんっ!ご無沙汰してます!お元気でした?」



独特の高さのある男声。



我らが殺人ピエロ、自称奇術師ヒソカは、出てくれなかったらどうしようという不安を僅かワンコール目で吹き飛ばしてくれた。



さすが!怖いけど、困ったときには頼りになる御方!



ありがとう、ヒソカさん!



『クックックッ!元気だよ☆キミは相変わらずのようだね。イルミからは時々話を聞いてるけど、どうだい。彼とは上手くいっているのかな?』



「あはは、はい……でも、実は最近、全然会えてなくて。イルミの居所が知りたいんですよね。仕事が立て込んでるから、ヒソカさんにヘルプに入ってもらってるんじゃないかって、予測してみたんですけど。ご存じないですか?」



『ああ、知ってるよ☆』



「やったあ!今度、パドキアの海鮮をお腹いっぱいご馳走しますから、教えてくださいお願いします!!ヒソカさんの好きなイセエビと大トロ、捕まえておきますからね!!」



『うーん、それも魅力的だけど……ボクは、どちらかと言えばキミの熟れ具合を知ることの方が興味があるなあ。どうだい、今度二人っきりで――』



「それはお断りさせていただきます」



プツン、と通話を切って一秒。



プルルル、プルルル……



ガチャ。



「はい」



『いきなり切ることはないんじゃないのかい!?』



「だって、ヒソカさんがヤル気満々で言うから気持ち悪かったんですもん」



『きも……っ!?もう……分かったよ。仕方ないなあ。さっきキミが言った条件で手を打ってあげるよ★』



「やった―!ヒソカさん大好き!!」



『はいはい☆実を言うと、イルミはついさっきまでボクと一緒にいたんだ。キミの読み通りだよ、ポー。今回は、ボクが外で騒ぎを起こしている間に、彼がターゲットの屋敷に侵入する手筈でね。次は確か、ヨークシンに行くって言ってたよ。その次はアジエアン大陸での仕事らしいから、捕まえるなら早い方がいいだろうね』



「わかりました!ヨークシンか、急げば今夜中に着けるかな」



『クックックッ!まさか、今からイルミに会いに行くつもりなのかい?』



「怒られますかね?」



『どうかな☆でも、彼はキミに会いたがっていたよ』



「ヒソカさん……」



いつもありがとうございます。



受話器ごしに深く頭を下げれば、一段と楽しそうな笑い声が帰ってきた。



『用はそれだけだね。じゃあ、ボクはこれで。いい土産話を期待してるよ☆』



「はーい」



ピッと、携帯電話の通話終了ボタンを押す。



画面に表示された時間は――



「午後七時かあ。ヨークシンまで、ここからだと高速飛行艇で飛ばしても三時間以上かかっちゃうから急がないと!」



よーし!



せっかく会いに行くからには気合いを入れて準備しますか!



眦に滲んでいた涙をぐいっとぬぐい去り、私は部屋のクローゼットを開け放った。



中には綺麗にアイロンがあてられ、ハンガーにかけられて整理された服がズラリ。



ここにあるのは普段着だけで、大人二人がてを広げて、やっと届きそうなくらい幅の広いクローゼットを、イルミとふたりで半分ずつ使っているのだ。



キルアやカルトくん、キキョウさんなんかは、一人に一室……場合によっては数室のウォークインクローゼットを持っているけど、私はそんなに私服はいらないし、イルミにいたっては飽きた服は二度と着ないため逐一処分している。



だから、このクローゼット半分こして充分なんだ。



さて。



「何を着て行こうかなー。夜にイルミに会いに行くことなんて今までなかったから、ぜんぜん思いつかないや。うーん……」



明るいトーンのワンピースや、カジュアルなトップスやスカートを合わせてみるけど、姿見に映る私の姿はどれもいまいちと言うか……こう、ピンと来るものがない。



「なんか全部、カジュアルすぎるよ!普通に空港に行くだけならなんとかなるだろうけど、イルミを待つならセレブ御用達のVIPの社交場、プラチナスターラウンジに行かなきゃいけないのに……」



前にイルミと一緒に行ったことがあるけど……あそこはもう空港じゃないよ。



超のつくような高級ホテルか、もしくはどっかの国の宮廷ですよ。



「だいたい、空港のラウンジに漆黒の大理石の床やら壁やら象牙の柱やら、純クリスタル製のシャンデリアの輝く、吹き抜けの硝子天井なんて必要ありませんから……!!うわー!もう、どうしよう!あんな場所に着ていく服なんか持ってないよー!」



盲点だったー!!



うう、こんなことなら普段からもっと色んなオシャレに興味持っとくんだったよぅ。



動きにくい服なんてただの布だと思ってた私のバカー!!



「はああ~、どうしよう。まさか、今からイルミに電話して、どんな服がいいか聞くわけにもいかないし、ミルキくんの趣味じゃ参考にはならないし、一緒に悩んでくれそうなカルトくんはお仕事中だし、一人で町に行って決められる自信もないし……」



ダメだ……。



万事休す……!と、床に散らばる大量のカジュアル服の上に、ガクリと膝をついたときだ。



イルミの部屋の扉がバターンと勢いよく開け放たれた。



猛然と、そして華麗に突っ込んできたのは、五段のフリルを薔薇の花のごとくあしらった、深紅のゴシックドレス。



つばの広い揃いの帽子にこれでもかと盛られた漆黒の羽飾りも艶やかなゾルディック家奥方――キキョウさんである。



彼女は床にへたりこむ私を、そのメカニカルなゴーグルに点る真っ赤なライトで一瞥し、すうっと息を吸い込んだ。



「ポ――――――ッ!!!」



「うわあっ!?おおお帰りなさい、キキョウさんっ!お仕事、早く終わったんですか?」



「そんなことは見ればわかるでしょうっ!?それよりも、夕食の準備が何も出来ていないとは何事ですか!?いついかなるときにも不自由のないように、そつなく家事をこなしておくことが、ゾルディックの嫁の務めですことよっ!!!」



おおう。この、耳をつんざくハイトーンボイスも久しぶりだなあ。



「す、すみませんでした!あの、魚介料理でよければすぐにでも作れますんで、今から用意しますね!」



「お待ちなさい」



台所に飛んでいこうとする私の首根っこを、黒いレースの手袋を嵌めた手でガシリと掴むキキョウさんである。



「な、なんですか?」



「イルはどこ?たしか、今夜は家に戻る予定だったのではなくて?」



「……はい。そうだったんですけど」



ショボン、と、とたんに項垂れる私。



「それが、遠方の急な仕事が入っちゃって、帰ってこれなくなっちゃったんですよね……」



「あら。それは気の毒ね」



難儀なこと。



キュイイン、と、意外にも青いライトを点滅させるキキョウさんに、私はガバリと泣きついた。



「うわーん、キキョウさーん!!」



「ええい、お離しっ!鬱陶しい、図々しくもゾルディックの嫁になろうというものが、これきしのことでぴいぴいと泣くものではありませんっ!!」



「だってー!!かれこれ一ヶ月近くも会えてないんですよっ!?これ以上我慢するなんて無理ですよ―!!」



「はあ……それで、腹いせにイルミの部屋を散らかしていたというわけ?」



キュイイン、と呆れたように赤いライトを灯すキキョウさんに、慌てて首をふった。



「違いますよ!実は、強行突破のダメ元でイルミに会いに行こうと思ったんですけど、着ていく服が一枚もなくて」



「なあんですって―――!!!??」



「ぎゃあああごめんなさいごめんなさいっ!!暗殺の仕事中にってことじゃありませんごめんなさい!せめて、飛行艇で移動する間だけでも側にいれたらって思ったんですごめんなさい!勿論、イルミにダメって言われたらすぐに帰ってきますからごめんなさい――っ!!」



ビュンビュンと、次から次にぶっ飛んでくる毒ナイフを、守りの泡でヌルヌル滑らせながら、必死に弁解する私。



激しい攻防を繰り広げること数分後、ついに投げるナイフがなくなったキキョウさんが忌々しそうに舌打ちした。



「移動時間はどれくらいなの?一、二時間ではダメよ!?急な仕事が入ったのなら、移動中に暗殺ルートの確認をするはずでしょうからね!」



「大丈夫です!最高速度でも10時間以上かかります!!」



「……」



仕方がないわね……。

 

 

 

そんな含みを持ったため息が、ついについに、キキョウさんの口から漏れた――!!

 

 

 

よっしゃあ粘り勝ちぃ!!

 

 

 

これで大手を振ってイルミに会いに行ける!

 

 

 

「その代わり!さっき自分で言ったように、イルミに邪魔だと言われたらすぐに帰って来るのですよ!?」

 

 

 

「はい!」

 

 

 

「……ところで、貴女、まさかそんな格好で行くつもりではないでしょうね」

 

 

 

「それなんですよねー、一番の問題は。あのキラキラなラウンジに着ていく服がなくて困ってるんですよ。あっ、そうだ!わざわざ服なんか選んで行かなくったって、いっそのこと“嘘つきな隠れ蓑(ギミックミミック)”で隠れてこっそり飛空艇に潜り込んじゃえばいいか!」

 

 

 

「ダメですっ!!」

 

 

 

「痛たたたたた!!ちょっとキキョウさんそんな長い爪してほっぺた摘まないで下さいようっ!!」

 

 

 

「ええい、お黙りなさいっ!!恐れ多くもゾルディック家の嫁になろうというものが、イブニングドレスの一着もろくに持っていないだなんて、レディとしての嗜みがなってないにも程があってよ!!貴女!!休みの度にイルと街に出かけていたくせに、一体なにをしていたの!!?」

 

 

 

「えーっと……大抵は、現地の美味しい物を食べ歩きに痛い痛い痛いですってばキキョウさーん!!」

 

 

 

「まったく、呆れて物も言えないわ……!!イルったら、どうしてこんな食い意地ばかり張った小娘のことなんか好きになったりしたんでしょう!!」

 

 

 

「イルミだって、あれで結構食い意地張ってますもん!!この間だって一緒にソフトクリーム買ったら、「ポーの方が、ひと巻き分多いよね」って帰る時までずーっと言い続けてたんですよ!?粘着質にも程がありますよ!!」

 

 

 

「そこがイルの可愛いところなのよ!!全く……それで?ドレスはどうするつもり」

 

 

 

「もういいですよ、このままで――うわあ!?」

 

 

 

「いいわけがありますか、この馬鹿嫁っ!!こっちへいらっしゃい、こうなったらこのわたくしが、イルの為に直々にドレスアップして差し上げましょう。オーッホッホッホッホ!!!!」

 

 

 

「嫌ああああ――っ!!」