急げや急げ!!
慣れないドレスをさばきつつ、大急ぎでパーティー会場に駆けつけた私。
エントランスホールから直結の大広間へ足を踏み入れると、中はすでに、きらびやかに着飾った沢山の人達でいっぱいだった。
吹き抜けの天井は高く、壁にそって立つ無数の金の柱が、ドーム状に設計された天井の中心で一点に結ばれている。
まるで、鳥かごを内側から見上げたようなイメージ――クリスタル製の巨大なシャンデリアがいくつも吊り下がり、その眩いばかりの光の下には、豪華な食器類を並べた丸テーブルがズラリと並ぶ。
そして、豪華絢爛な会場の中で、一際目を引くものが、中央のステージあるガラスケースの中に飾られていた。
「綺麗……!」
それは、二羽の白鳥を象ったレリーフだった。
純白の翼を優美に広げた鳥達は、しなやかに首をたわませて、互いをじっと見つめている。
白鳥といえば、言わずと知れたこのホテルのシンボルマークだ。
それが二羽――レリーフの謂れは分からないけど、なんだかとても大切なもののようだ。
それが証拠に、四方に四人、がっちりした体格のガードマン達が立っているし。
きっと、高いんだろうなあ……。
「流石は大都会ヨークシン一の超高級老舗ホテル、NGKホテルのパーティーだよね。なんか、シルバさんの気持ちが分るかも。華やかすぎて息が詰まりそう」
豪華絢爛な会場に、それに招待されている人達もまた、上品で洗練された雰囲気。
今更ながらに、私って、場違いじゃない……?
「ど、どうしよう……こんなところで、初対面の人達に挨拶回りだなんて、上手く立ち回れる自信がなくなってきた! 適当に顔出して、さっさとおいとましちゃおうかな……」
それにしても、キキョウさんはどこにいるんだろう。
ド派手な金色のフリフリを探して、きょろきょろと周りを見まわしてみるのだけど、いかんせん、皆が皆、似たような格好をしているから見つからない。
あのキキョウさんがナチュラルに溶けこんでしまえる空間が、この世にあるとは思わなかった……!
しかも、気がつけばまわりの人達はカップルばかり……そうか、こういう場では、男性が女性をエスコートするのが当然なんだよって、前にイルミに教えてもらったことがあるっけ。
一人でいるのは私だけみたいだし、皆の視線が私に向けられているみたいで、居づらいよう……!
泣きそうになった、そのときだ。
「こちらにおられたのですか、ポー姉様」
「へ……?」
夜会服姿の、少年だった。
大きくて、ややつり目がちな双眸。
白い肌に、それとは対照的な黒髪は、真っ直ぐで癖一つなく、肩の線を少し越すぐらいの長さで、綺麗に切りそろえられている。
イルミ……?
喉から出かかった言葉をすんでで飲み込んだのは、その声質や呼び方から、目の前の男の子の正体が、唐突に分かってしまったからだった。
「カっ、カルトくん!?」
「はい」
にっこり笑って、こっくりと頷くその仕草。
間違いない!!
「うわあああああああっ! びっくりした! どうしたの、その格好。髪も、いつもよりずっと長いよね?」
「ポー姉様がこちらへいらっしゃったとお母様に伺ったので、僕がエスコートをと思って……あの、やっぱり、変ですか?」
「とんでもない! そんなわけないじゃない。すっごくすっごく似合ってるよ! 普段は着物で、女の子みたいだから、なんだか新鮮だねっ!」
かっこいいよ、と伝えると、カルト君は目を真ん丸にして、たちまち真っ赤になった。
か……可愛い……っ!!
「そうか、盲点だった……カルトくんってば、いつもキキョウさんにべったりで、何かあるとスカートの影に隠れちゃうから、じっくり観察したことってなかったんだ。髪を伸ばして男の子の格好になれば、イルミそっくり。しかも、少年の頃のイルミが目の前に……!! あああああ!! 写メ!! 写メ撮ってキルアにも送ってあげよう!!」
「ポ、ポー姉様、鼻血が……!」
どうぞ、と差し出されたハンカチを鼻に当てつつ、目の前のカルト君をなおも堪能していたときだ。
ゾクリ、と背中に殺気。
パキューン! と放たれたゴム弾が、私の首の後ろにヒットした。
「痛い!! だ、誰ですかっ、いきなり人の頭にゴム弾なんかぶつけるのは――って、あ、キキョウさん痛い!!」
パキューン! と連続して放たれたゴム弾が、今度は私の眉間に命中する。
「お母様! ポー姉様に乱暴するのはやめてください……!」
「おーっほほほほほ!! 大丈夫よ、カルトちゃん! 残念ながら、この程度の攻撃では、この馬鹿嫁の気を失わせることすらできなくってよ。おーっほほほほ、嫁は外――っ!!」
パキューン! パキューン! パキュキュキュキューン!!
「痛っ! 痛いっ! 痛い痛いですって、キキョウさあん!! そんな、人を節分の鬼みたいに……!!」
ジャポン行事の豆まきなる行事を、ゾルディック家に持ち込んだのは他でもない私なんですけどね……だって、悪い鬼を追い出して、福を呼び込むこの行事。暗殺とはいえ自営業を営むゾルディック家にはうってつけだと思ったんだもん……!!
くじびきで鬼を決めた結果、シルバさんやゼノさん、あと、イルミが鬼になったりして。屋敷内を逃げまわる彼等に、煎った大豆を投げつける――これが、やってみたらかなり痛快で楽しかったのだ。
特に、キキョウさんはそれはそれは気に入ったらしく、大はしゃぎしておられたわけなんだけど、それが、こんな形でふりかかってこようとは……っ!
「それに、鼻血が出たときには首の後ろを叩くのが一番なのよ、カルトちゃん」
「そうなのですか……では」
「スト――ップ!! さっそく手刀しようとしないでーっ!! ダメだよ、カルトくん! それは間違った家庭の医学! 本当は、小鼻を摘んで圧迫して、鼻を冷やすのが正解!」
「そ、そうなのですか……すみません」
しょぼん、と俯いて、申し訳無さそうにするカルトくん。
うわあ……!
「あーもう、可愛い!! キキョウさん、この子貰っていいですか? いいですよね!? イルミと話し合って、うちの養子にしますんで!!」
「いいわけがありますか!! 欲しければ自分で産みなさい! それよりも、覚悟はいいこと? シルバの代わりを務めるということは、貴女はゾルディック家の代表として、この場にいるということ。のんきに食事をしている暇などなくってよ。カルトちゃん。この馬鹿嫁が逃げ出さないように、しっっかりエスコートするのよ!!」
「はい、お母様」
そのときだ。それまで、優しく手を握っていてくれたカルト君が、私の腕を背中に回して、拘束まがいの真似を……!!
「ちょ、ちょっとカルト君? あれ? エスコートって、こんなに乱暴なものだったっけ?」
「行くわよ、カルトちゃん!!」
「はい、お母様!!」
こ、こっちの話なんか聞いてない。
突撃――っとばかりに、キキョウさんと私を拘束したカルトくんは、パーティー会場を埋め尽くすキランキランな人達に向かって突っ込んでいく。
それから、約ニ時間。
挨拶回りにつぐ挨拶回りにつぐ挨拶回り――の途中で、ついに我慢と忍耐の限界に達した私は、ちょっとトイレに、という古典的な手を使って、カルト君のエスコート(という名の、イルミ並に厳しい監視の目)から、まんまと逃れたわけなんだけど。
人気のないテラスに辿り着いた途端、私はもう、倒れこむような勢いで手すりに寄りかかった。
冷たい夜風が気持ちいい……!
「つ……疲れた……!! シルバさんが嫌がる理由が身にしみて分かったよ……ううっ!! 緊張するし、ずっと笑ってなきゃいけないし、お酒と香水の匂いが、何種類も混ざって、気持ち悪い……!!」
新鮮な空気を、すーはー、すーはー深呼吸していたときだ。
背後で、愉快そうな男の人の笑い声が響いた。
「大丈夫か?」
「え……っ?」
聞き覚えのある声に、はっとして振り向く。
テラス入り口の大窓に、よりかかるように立ちながら、青い双眸でこちらを眺めている長身の男性。
歳は二十代後半くらい。
夜会服姿で、髪は、真っ直ぐなストレート。
「だ、誰ですか……」
「分からないか? まだまだ鍛えが足りねぇようだな」
「……!?」
にやり、と厚みのある唇の端で笑う、その仕草!
「シルバさ……むぐっ!」
「静かしにろ。キキョウにバレたらえらいことになる」
「……」
シルバさん、シルバさんだっ!!
見た目がこんなに若いのは、強化系の念で肉体を一時的に若返らせているから。
前に、イルミと天空闘技場を訪れた時に初めて、この姿のシルバさんに会って――そのときは、シロガネさんっていう偽名を使ってたっけ。
今回は、若返りに加えて、いつもはふわふわでウェーブがかった銀髪が、なんと直毛のサラサラストレートという変貌ぶりだ。
なるほど、この姿ならきっと、キキョウさんにも気付かれないに違いない――なんてことを考えながら、口の中のものを咀嚼する。
目にも留まらぬ早業で、口封じに突っ込まれたのは――そう。細長い、バータイプのガトー・ショコラだった。
甘くて、なめらかで、ほどよく洋酒が効いてて、お、おいしいいいいいいいいいっ!
思えばこの数時間、豪華絢爛なお料理を前に、一口も食べられなかったんだもん!
空腹はピークをとっくに過ぎている。そんなときに、舌に訪れた芳醇な甘みの、なんて幸せなことか!!
「――っ、おいひいっ、おいしい、です! シルバさんの持ってきてくれたチョコケーキ……、ありがとう、ござ……ますっ!」
「泣くな。まったく……まあ、あれだけの飯を目の前にして、お前にしてはよく耐えた方だがな」
よしよし、というように、ぽんぽんと頭を撫でてくれるシルバさんは、いつもよりもちょっとだけ優しい気がする。
「限界ですよう! あれ以上おあずけされたら、私、回りにいる人皆が食べ物に見えてきそうで……さっきだって、今にも飛び出しそうな触手を抑えるのに必死だったんですよ……!?」
口の中のガトー・ショコラをよーく味わって、ごっくん、と飲み込んだら、その瞬間にお腹が鳴った。
もっとよこせ、というように。
足りない……おいしかったけど、こんなんじゃ、全然足りないよ。
ガクン、と力の抜けきった身体を、シルバさんに支えられた。
「シルバさん……おかわりぃ……」
「欲しいか?」
揶揄を含んだ声が、耳元に囁かれる。
鼓膜を震わせる低音の響きに、ゾクリと肌が粟立った。
見上げれば、面白そうに底光りする、二つの目。
「欲しい……です……。もっと、下さい……もっと、いっぱい……シルバさん……の、欲しい……」
「……」
グギュルギニュウグギュルグウウウウウウウウウウ~~!!
「シルバさんの……シルバさんのチョコケーキ――!!」
「分かったから泣くな。全く、色気の欠片もない奴だ」
一体、なにを期待していたのか、はあ、と実に残念そうにため息をつく御大である。
「色気なんてそんなもの! 睡眠欲と食欲が満たされてこそですよ!! ケーキ、ケーキ、ケーキ……甘いケーキがお腹いーっぱい食べたいですシルバさん!!」
「落ち着け。ここに立って、窓の向こうを見ろ……ターゲットは、あの位置だ」
「ターゲット? う、うわあああああっ!! なんですかあれ、あの一角にあるの、まさ、全部チョコレートですか!? チョコに、チョコケーキに、チョコアイスに、チョコレートファウンテン!?」
「ああ。このパーティー自体が、バレンタインのための催しらしい。あの一角とこのテラスは、直線距離で約8メートル。身を隠せるものはないが、招待客に紛れれば、監視の目をくぐることは可能だろう。だが、油断するな。キキョウもカルトも、お前が逃亡したことには既に気がついている。よって、双方、常にあのチョコレートブースとビュッフェ・エリアを巡回する形で警戒を――」
「“嘘つきな隠れ蓑(ギミックミミック)”!」
「……つくづく便利だな、お前は」
惜しい、と御大。
ぷるんと包んでつるんと守る、私の得意技、“驚愕の泡(アンビリーバブル)”の表面を周囲の景色と同化させる、この技、“嘘つきな隠れ蓑(ギミックミミック)” 。
私のオーラは特性上、ただでさえ凝をしても水のように見えにくい。それをわざと可視化させる分、この技は持続するのがちょっと難しいんだ。
でも、シルバさんの言うとおり、とっても便利。
たとえ動きが鈍くても、獲物に気づかれないように近づくことが出来る上、確実に捕獲できるのが最大の強みだ。
――まあ、シルバさんは暗殺者として、別の意味で便利だと言いたいんだろうけど。
気づかないふりっ!
「それじゃあ、シャッ! と行ってピャッ! っと食べてきます!」
「待て」
腕まくりしていざ戦場へ赴かんとした私の首根っこを、ガッシリとお掴みになられるシルバ・ゾルディック。
嫌な予感。
「……なんですか?」
「ついでに、俺の分も取ってこい。嫌とは言わせん、ギブ・アンド・テイクだ」
ニヤリと笑いながら、親指で私の唇の端についていたチョコケーキの屑を拭い取って下さる御大である。
し、しまったー!
「そんなところまで取引なんですか? 普通に「取ってきて」って頼めばいいじゃないですか!」
「他人に借りをつくるなというのが、うちの家訓だからな」
「……!」
他人。
青い双眸を意地悪そうに光らせるシルバさんの言葉に、私の心がサッと冷たくなった。
鼓動が速まる、けれど、そのことを悟られたくなかった。
「――わかりました。いいですよ。シルバさんの欲しいだけ、いくらでも取ってきます」
「ああ。……何を怒ってる」
「……なんでもないです」
呟くと、「おかしな奴だ」とばかりに、シルバさんはくりっと首を傾げる。
若作りの上に、髪型もストレートの長髪だから、そんな仕草をされるとイルミそっくりだ。
普段は怖いくらいに勘が良いくせに、変なところが鈍感なのは、親子揃って一緒なんだな……悪気がないってところも。
はあ、と溜息ひとつ、冷静になる。
「ほんとに、なんでもないですから。気にしないでください。ザッハ・トルテでいいですか?」
「ああ。あとは、お前が食べたいだけ皿に持ってこい。その場では口をつけるなよ。怪しまれるからな」
「はーい」
軽く片手を上げて答え、再び踵を返そうとした私を、だが、シルバさんは再度呼び止めた。
「なんですか?」
「こいつを渡すのを、すっかり忘れていた」
「わっ?」
すっと伸びてきた大きな手が、私の首にかかる。
暗殺一家ゾルディック当主が他人である私に前触れもなく渡すもの、それ即ち、完全なる死。あわや骨でも折るつもりかと身構える私の耳に、カチッと小さな金属音が響いた。
「これでいい。ドレスだけでは流石に殺風景だからな」
「え……え? これって、チョーカー、ですか?」
苦しくはないけれど、首周りにはひんやりと冷たい感触が。
シャラリ、と胸元へ、数珠つなぎになった青い宝石がこぼれ落ちる。
透明から、淡水色、目の冴えるような南碧色(トロピカルブルー)。繋がれた宝石は徐々に青みを増して、最後のひと粒は夜天の闇を思わせるような濃紺だ。
まるで、深度を増していく海のよう。
「綺麗……」
「気に入ったか?」
「はい……これを、私のためにわざわざ……ありがとうございます、シルバさん!」
「礼はいい。それよりも、上手くやれ」
「はい……!」
ニヤリ、と不敵に微笑む御大に頷きひとつ、私は今度こそ念を発動し、姿を消した。