イルミが怒っています。
「では、試合開――」
ドスッ!!
「ぐえっ!!?」
イルミが怒っています。
「し、勝者、イルミ選手……!!えー、あ、あなたは過去に数度200階まで到達されておられますので……」
「知ってる。で、何階に行けばいいわけ?」
「ご、ご希望の階数がございましたら」
「100階」
イルミが…………。
ううっ、怖いよう……!!
第一試合で早々と100階に行っちゃうってなんだそれ!!
しかも、今の試合、イルミの動きが速すぎてもうなにがなんだか分かんなかったよ……手刀……だったのかな?
でも、イルミは最初に足った場所から少しも動いてない……ように見えたんだけど。
もし、あの一瞬で相手の背後に回って手刀を繰り出し、また元の位置に戻ってきたんだとしたら……。
怖すぎるよ!!
「ポー」
「――ひいっ!?」
振り向けば、ついさっきまでリング上にいたはずのイルミがいた。
周囲の観客がのけ反り、凍りつき、慌てて逃げるほどのオーラをウォンウォン発しながらゆらりと立っている。
真顔で。
怖い!!!
「お……お疲れ、イルミっ!」
「次、ポーの番だよ。さっさと行って戦って来なよ。言っとくけど、わざと手を抜いて俺を焦らすような真似、しないでね。この上にそんなことされたら俺――」
「しません!絶対っ!!全力で戦ってきます!!」
「……約束だよ」
くりっ、と、いつもなら可愛く首を傾げるところなのに、イルミはすうっと目をすがめただけで、傍観席に座ってしまった。
アナウンスが、私の名前を呼んでいる。
「行ってきます……」
呟いた私に、イルミは答えてくれなかった。
☆☆☆
私が悪いんだろうなあ……。
イルミが戦っている姿が見たいっていうのも、テンタ君の鞭打ち攻撃を極めたいっていうのも本当のことで、嘘はついていないんだけど……。
研究に必要な資金集めのことは、今まで黙ってたわけだし。
「次の試合はポー選手対、ラン選手!両者、前へ!」
でもなあ……あんなオンボロの船や探査球じゃ、とてもじゃないけどこの夏の修羅場を乗りきれるとは思えないんだよね。
私一人ならなんとかなるけど、調査にはたくさんの学生さんたちが関わってくれていのだし、彼等の命と安全を担っている身としては、少しでも充実した設備や、装備を準備してあげる責任ってものが――
「ポー選手、前へ!試合放棄と見なしますよ?」
「――へ?あ、す、すみません!」
あっぶない。
忘れてた、今から試合するんだった。
えーっと、相手は……。
「わ……!」
わおおおおお!!
美人!!
観客が総立ちになって歓声を上げるほど妖艶なおねーさんだ!
つばのひろい、真っ黒な帽子の下で紅い唇が微笑んでいる。
長いまつげに縁取られた大きな目。
前髪は綺麗に揃えられ、イルミといい勝負をしそうなくらい艶のある漆黒の髪が、するりと胸元に滑り落ちた。
ゴ、ゴシックドレスなのにデコルテも肩も剥き出しなんだよ!!
エロすぎるよ!!
首や手首、足首に巻かれた包帯の白さがまたエロい!!
裾の広がった、そうそう、ちょうどビスケが着ていたようなスカートから、真っ直ぐな脚が二本、すらりとのびている。
カツン!
と、石のリングを鳴らす、黒のピンヒール。
「踏んでください!!」
前列の観客席に座った男の人たちが堪らねえとばかりに叫んだ。
「蹴って下さい!!」
「犬にして下さい!!」
「なじって!!」
「叩いて――!!」
……うん。
その気持ち、分からなくはない。
で、でもこの……ランさんって人、本当にこんな格好で戦うつもりなんだろうか?
もしもそうなら、相当の実力者か、それとも――
「試合は三分間で行います。では、始めっ!!」
「――!?」
気配が消えた……!?
途端、背後から首のつけねを狙う衝撃が……!!
速い!
て、纏をしていて助かった!
加えて、私の念能力“驚愕の泡”は、私の身体に危害が及びそうになると自動的に発動して攻撃を受け流す。
プルンッと、弾かれたランさんの攻撃は、手刀……イルミやキルアと同じだった。
もしかして、この人は。
「あ、暗殺業……をされてる方だったりします?」
途端、紅いルージュの端がつり上がった。
「よくお分かりになったわね。ご褒美をくれて差し上げてよ?」
「ひゃああああっ!!」
鞭のように、しなやかに放たれた脚が斜めに空を切る。
とっさに後ろに飛び退くけれど、その先にはすでにランさんが待ち受けていて――
「うわっ!?」
ガンッ!!
こめかみに、鈍器で殴られたような痛みが走った。
なんで!?
私、ちゃんと防御してるのに!
「ポー!」
「イ……ルミ!?」
「堅と流だ!!」
堅……?
流……?
白熱する試合に観客は総立ち、その中で、確かに聞こえたイルミの声は、しかし、怒涛のような歓声にうずもれてしまった。
堅と流。
たしか、それって四大行の応用技だったはず……グリードアイランドで、ゴンがレイザーと戦ったときに使ってたような気がする……!!
うわあああ~~!!
こんなことならもっと真面目に読み込んでおけばよかった!
冨樫先生ごめんなさい!!
「――っ!!」
ビュッ!
のけ反った私の鼻先を掠めていく、とんでもない速度の手刀。
頬に違和感……手をやるとヌルッとした嫌な感触が。
血だ!!
なんで!?
当たってなんかいないのに!!
「もう嫌だ怖い!!棄権します!!」
「ご冗談を」
こともあろうに審判さんを盾に泣きつく私を、ランさんは攻撃の手を休めて、思いっきり見下した目で睨みつけた。
うう……ムーディ。
「試合は三分間。タイムアウトまでは相手が死ぬまで続けられる。それがここのルールですわ。私が一体、何をしたのか……?残り時間内にそれすら見破れないようでは、話にならなくてよ。ポー。そのときは、いっそザックリ殺してあげましょう。出来の悪い念能力者など、うちには必要ありませんからね!」
「え……?」
あれ……?
なんか、今の言い方って――
ワアアアアア……!!
そのときだ。
隣のリングで歓声があがった。
つられて目を向ける。
三メートルはありそうな大男が、銀の三つ編みの男の人にストレートパンチを繰り出した瞬間だった。
男の人の周りをとりまいていたオーラが、密度と量を増したのだ。
纏をしたまま……練。
そうか、あれが堅なんだ!
纏でまとったオーラの膜を練で増幅するやりかたは、周囲の念使いを探し出す技……円に似てるけど、違うのはオーラの濃さと、その密度。
そして、さらに守るべき部分に必要なだけのオーラを流し、瞬時に高める。
これが流!!
パンチを弾かれた大男は、その反動で壁までふっとび、ノックアウト!
すご―い!!
かっこいい!
誰だあの銀の三つ編みの人!!
「よそ見をしている暇はなくってよ!!」
「わあっ!?」
審判さんごと真っ二つにする勢いで飛んできたハイキックを、今度こそ、目でとらえることができた。
本当に危ないとき――戦いながらの凝が出来ることがある。
そんなとき、相手の動きは粘性のある液体の中で動いているように、スローに見えるんだ。
大切なのは、タイミングを合わせること。
ランさんの脚が、守りの泡に触れた瞬間。
脚に集められているオーラと同じ分量のオーラを、一点に集中させる。
「よし……!!」
今度こそ上手く弾けた……!!
そうか、さっきまでは、泡のオーラよりもランさんが攻撃に使っていたオーラの方が多かったから、守りきれずに衝撃が通ってたんだ。
集中。
頭の中にイルミの声がする。
脚にオーラを集めているランさんには、他の部分に防御の隙があるはず。
逃すな。
叩け!!
「“見えざる助手たち(インビシブルテンタクル)!!”」
「!!?」
「そこまで!!」
ズガ――ンッ!!
審判さんの声に邪魔されて、目標を誤った私の攻撃は空を切り、ランさんの足元より30センチ横の石板を割った。
パックリと。
ああ……当たってたらそれなりにダメージになってたかもしれないのに。
……死ぬことはないよね。
強いし。
うん。
「……し、試合終了。ラン選手は50階へ。ポー選手は20階へ上がりなさい」
「はーい……」
20階か……。
あはは。
し、仕方ないよね、だって避けてばっかりだったんだし。
怒らないで、イルミ!!
ごめん!
精一杯頑張ったんだから許して!!
そんな思いで観客席を振り向いたとき、ツカツカ、と歩み寄ってきたランさんが、すれ違いざまにふん、とため息をついた。
「……本当に、出来の悪いこと!!」
「え……?」
くりっと、首を傾げる。
今の言い方、どこかで――
☆☆☆
「ポー」
「イルミ!ごめんね、私――」
むぎゅ。
……あの、イルミさん。
一階闘技場前って、一番人が多いんですよ。はっきり言ってどこもかしこも人だらけなんですよ。
そんなところで堂々と抱き締めたりしないで恥ずかしいい~~!!
でも、文句言ったら怒ったイルミに油注ぎそうな気がするから……ここは黙って抱かれてるしかないな、うん。
「大丈夫だった?言い忘れてたけど、このフロアにいる奴等は実力別に振り分けられる前だから、力の差は様々なんだ。油断していると思わぬ相手と組まされることもある。さっきポーの戦った女は、間違いなく200階クラスの大物だよ」
「ね、念能力者?」
「うん。間違いなくね」
ぎゅっと、抱き締める腕に力がこもる。
動悸が速い。
イルミ、心配してくれてたんだな……
あんなに怒ってたくせに。
そう思うと、目の前にいるこの人が愛しくて堪らなくなった。
「イルミ……」
「なに?――!」
くりっと、私を見つめて首を傾げるイルミの顔を、引き寄せる。
ここに来る前に、彼が提示した条件――たまには、ポーのほうから俺にキスしてよね?――を、満たしてあげる。
触れた唇はしばらくの間、硬直したように動かなかったけれど、やがて、イルミの手のひらが頬を包み、深く深く口づけられた。
互いに、ひとしきり満足するまで求めたあと、唇を離したイルミが問う。
「ポーにしては、大胆だよね。こんな人の多いところでディープキスなんて、恥ずかしくないの?」
「大丈夫。ちゃんと見えないようにしてるから」
そう、使ったのは例の新技だ。
“嘘つきな隠れ蓑(ギミックミミック)”で、今度は私の身体だけを見えなくしてみせると、イルミの目がちょっとだけ丸くなった。
誰にも見られたくない!!
見られたら恥ずかしくて死ぬ!!
……この技を使うときは集中力が必要で、こういうモチベーションがとても大事なのだ。
「なるほどね。それ、ハンター試験のときもちょくちょく使ってたよね。俺のプレートを奪うために、川の中に潜んでたときや、最終試験でヒソカと戦ったときにも」
「うん!あのときにはまだ技にもなってなかったんだけど、ちゃんと名前をつけて極めて見ようと思って」
「守りの泡の表面を、周りの景色と同化させるのか。便利だねー」
「あ、暗殺に……?」
「うん。それもあるけど、どこでも人目を気にせずにいちゃつけるって、いいよね」
くりっと首を傾げて、イルミはもう一度私にキスをした。
今度は、頬に。
半分乾きかけていた血の痕を、舌の先でなぞる。
「痛っ!」
「お仕置き。顔に傷をつけた罰だ。浅いし、綺麗な切り口だから痕は残らないだろうけど。気をつけてよね」
「うん……」
真っ赤な血を、ペロッと舐めるイルミが綺麗で……すごく、綺麗で。
グギュルギニュルグギュウウ~~!!
「お腹すいた」
「……だろうね。結構、無茶なオーラの使い方してたから。堅と流を上手く扱えるようにならないと、100階以上には上がれないよ?念の使い手ではなくても、格闘の才のある者には、自然とこれらが身に付いている奴等も多いからね。例えば、俺の弟のキルアと、そのおまけのゴンみたいに。オーラの攻防力移動。ポーの苦手分野だ」
「わかったよう、頑張るよぅ……だからなんか食べに行こうよイルミ~」
「はいはい。まあ、俺は100階まで上がれたし、部屋も貰えたからいいか。ポーはさっきの技を使って、内緒で一緒に泊まれば問題ない。今日はもう試合なんかせずに、ゆっくり身体を休めるんだよ?」
「わかった。でもさ、街に行くのはいいでしょ?美味しそうなお店、探しに行こうよ!」
「いいよ。……ねぇ、ポー。もしかして最初からそのつもりだった?」
「そのつもりって?」
「天空闘技場攻略がメインじゃなくて、空き時間は街に行って遊ぶつもりしてた?」
「う、うん。だって、せっかくのお休みだし……この辺、観光地になってるんでしょ?明日の試合に響かない程度でいいから、色々見て回りたいな」
「そっか」
くりくり、イルミは私の頭を撫でると、出口に向かって歩き出した。
背を向ける直前、その目が微かに、それとわかるほどに細まった気がした。
あれ……。
もしかして今、笑った……?
「どうしたの?行くよ」
「あ、待って!」
慌ててあとを追う私に、イルミは立ち止まって手を差しのべた。