“イルミは「殺し屋」でしょ。「人殺し」じゃないよね。”
目を開ける。
丸い月が登っている。
本当なら、殺し屋って、月のない夜を好むものなのかもしれない。
でも俺は、満月を眺めるのが好きなんだ。
最近は特にそう。
日ごとに満ちて、丸くなった月を眺めるたびに、身体の奥がウズウズする。
一回、二回……とうとう今夜は、六度目の満月の晩だった。
半年。
長かった。
時間の流れをこんなにも意識したのはいつぶりだろう。
もしかしたら、初めてかもしれない。
早く過ぎてくれ、と思うことはあっても、なにかを待ち遠しいと感じることはなかったかもしれない。
かもしれない?
違うな。
待ち遠しいと思ったことなんてなかった。
誰かに会いたいと思ったことも。
声が聞きたいと思ったことも。
今、何してるんだろ、なんて、想像を巡らせてみたことも、これまでには一度だってなかったよ。
ポー。
今度会ったら、俺は君を逃がさない。
抱きしめて、この腕の中に閉じこめて……。
まあ、ずっとそうしておくのは無理なんだけどね。
少々強引にでも、側においておこうと考えてる。
今、目の前で女を抱いてる富豪オヤジみたいに、悪趣味な鎖とか、手錠とか、そんなのをつけるつもりはないけどさ。
君が、俺の側にいたいと言ってくれるように。
望んでくれるように。
できる限りのことはするつもりだよ?
さて。
標的の男の、人生最後のめくるめくセックスもようやく終わりを迎えたようだ。
丸々太った体格のわりには、何度もよくがんばっていた。
男の寝室は広く、分厚いカーテンのかかった大窓が、寝台のすぐ側にある。
窓は閉まっていて、カーテンの隙間から、深夜に登り詰めた満月が覗いていた。
射し込む月明かりが、ナイフのようにサックリと夜を切る。
俺は、離れた位置から針を放った。
狙いは男の後頭部。まっすぐに、脊髄に深く打ち込む。
男は、女の身体にうつぶせになって倒れこんだ。
続けて放った一本を、女の首にも打ち込んだ。
悲鳴も、うめき声もなかった。
男は死んだ。
女のほうは、眠らせただけ。
お仕事終了。
お疲れ、俺。
「……ん?」
富豪オヤジの絶命を確認し、使用した針を回収したときだ。
眠らせた女の髪の色が、やけに鮮やかに目に飛び込んできた。
月の光の中で輝く、明るい、栗色の髪。
肩にかかるくらいの長さで、毛足には弛くカールがかかっている。
そっくりだ。
ハレーションのように、脳裏に映るのは半年前の記憶。
君の記憶。
思わず触れかけたとき、ふいに、背後に別の気配が現れた。
よかった。警戒していて。
俺は髪にのばしかけていた手を少しずらして、女の首筋に刺した針をなにごともなく抜き取った。
「ごめん。今、終わったよ。遅かったかな」
振り向けば、闇の中で底光りする二つの青い眼光と目が合う。
親父は沈黙したまま、寝台の上に重なった二人に視線を移した。
「時間のことはいい。暗殺に重要なのは、機を待つことだ」
「うん」
わかってる。
頷きながら、親父の視線を追う。
標的の男の後頭部。
女の首筋。
どちらにも、一滴の汚れも見られない。
使用人が部屋をのぞいたとしても、きっと二人共眠っているだけだと思うだろう。
肌に触れるまでは、片方が死体だとはわからない。
「腕を上げたな」
「ありがとう」
「イルミ」
「なに?」
「なにかあったのか」
「なにかって?」
くりっと、首を傾げる俺を、親父はじっと見抜いてくる。
悟らせない。
悟らせない、絶対に。
「……まあいい」
……よかった、つっこまれなくて。
心臓に悪いよ、ほんと。
「お前の指定した分の仕事は、この一件で最後だ。ご苦労だった」
「そう。じゃあ、少し休もうかな。急ぎの依頼はないんだよね?」
「ああ」
「……ねぇ、親父。俺がバリバリ仕事するのが、そんなに意外?」
心外だなー、なんて、すっとぼけてみる。
実は、この半年の間、俺は予約分の依頼に加えて、更に向こう半年分の仕事を前倒しでこなしていた。
自分でも無茶をしたものだと思う。
こんなことをするのは初めてだから、なにか理由があるのは明白なんだけど、問いただされても素直に話すわけにはいかなかった。
俺がしようとしていること。
君を家に迎え入れようとしていることは、まだ家族の誰にも話していない。
事前に話すつもりはない。
会わせるだけでいい。
あとは、俺が認めさせてみせるから。
「俺に話せないような理由があるのか」
「ううん。ただ、欲しいものがあるって、それだけ」
「欲しいもの」
「うん。手に入るかは、分からないけど」
「……」
親父がふたたび何かを言いかけたとき、寝台の女が寝言を漏らした。
もっと、とか、いれて、とか、そういう類いのこと。
俺と親父は顔を見合わせた。
「ずらかるぞ」
「うん」
こっくり。
頷いて、親父の後を追おうとする。
部屋を出る直前、青い視線が再び寝台を向いた。
「女の方は殺さなかったのか」
「うん」
「何故だ」
「何故って……依頼されてないじゃない」
「……」
親父は何も言わなかった。
何も言わずに手を伸ばして、俺の頭をぽんぽんと撫でた。
……えっ?
………何?
……………もしかして今、褒められた?
「……ほんとに、初めてなことばっかりだよ」
「何か言ったか」
「ううん、なんでもない」
丸い月が登る夜。
家に帰ったら、真っ先に君に伝えよう。
仕事が終わったから、俺の側においでって。
……そういや、連絡先なんて知らないけど、大丈夫。
絶対につきとめてみせる。
だから、ポー。
迷わずに来て――