「ポー」
目の前を歩く大きな背中がある。
イルミだ。
イルミ!
呼び掛けると、イルミはゆっくりと私を振り返った。
「俺……友達はいらないけど、嫁としてならポーが欲しいな」
***
「わあ――――――っ!!!!!!」
「うわっ!!?」
「な、なんだってんだ、いきなり!」
…………………あれ?
目を覚ますと、よくよく見知った調査船の中だった。
なんだか、妙に懐かしい夢を見ていた気がしたんだけど……しかも、無茶苦茶恥ずかしい夢を。
近くでひっくり返っているのは、現在私の勤める海洋研究大学の学生さん達だ。
マサヒラにトモチカにカラ。
彼ら三人は学生であると同時に、幻獣ハンター志望者でもある。
思い出すこと半年前。
あのハンター試験、三次試験のトリックタワーの中でサメを飼育していたおじさんたちに紹介してもらった、私にうってつけの仕事先。
それが、この大学での特別講師だったのだ。
試験合格後、イルミからとんでもないお誘いを受け、驚きのあまり考える間もなく頷いてしまった私。
いただいた時間は半年あった。
ゴンたちはキルアのご家族にご挨拶に行くために、さっそくパドキア共和国に向かったけれど、色々考えた結果、私は一緒には行かなかった。
どうせあとから行かなきゃいけない場所だし、せっかく自由に過ごせる時間ができたのだから、やってみたいことをやってみるべきだと思ったのだ。
というわけで。
大学の講義をはじめ、海洋指定保護区の警備やら、調査のための捕獲やら、観察やら解剖やら飼育やらなんやらかんやら、
幻獣ハンターとしての依頼以外にも、とにかく興味の向いたことを片っ端からやってみた。
だって、この世界の海、見たこともない生き物がい―――――っぱいいるんだもの、楽し――――――いっ!!!
……うん。
というわけで、授業あらためフィールドワークの一環として、この三人にはハンターなりたてである私の仕事を手伝ってもらったりしているわけだ。
今も、とある保護区から保護区へ、海洋指定保護動物の輸送を終えてきたところ。
ただ、私はこのあと用事があって、しばらくお休みをとるつもりをしていた。
目的地は……パドキア共和国。
「いやー、ごめんごめん。ちょっと、寝ぼけてたみたいでさ」
「ごめんじゃないっての。先生よー、この前の無線の一件があって以来、様子が変だぜ?」
「察しなよ、マサヒラ!先生は、初めて彼氏さんの実家にご挨拶に行くんで、緊張してるんだよねーっ!」
「大丈夫。先生なら、きっと気に入られルヨ」
「あは、ははは……」
彼氏さん、ねえ?
そうなのか?
嫁に来いとしか言われてないけど。
しかもそれ、半年もまえの話で、そのあと一切の連絡もなく、やっと連絡してきたと思ったら、この調査船の無線にいきなり割り込んできて、
『ポー、聞こえる?俺だけど、仕事が一段落ついたから、そろそろ嫁においで』
だと。
うおおおおおおおおおお!!!!
ふざけるなあ……っ!!!!
そんな、仕事上がりの飲み会みたいな感覚でホイホイ嫁になんか行けるもんか――!!!!
「早い……あのときはびっくりしすぎてつっこめなかったけど、いくらなんでも早すぎるよ!!だいたい、まだちゃんと恋人として付き合ってもいないのに……!!」
「ええっ!!?そうだったの?」
ぱっちり二重、水中作業だというのにウォータープルーフのマスカラとアイラインでしっかりメーキャップを施したトモチカの目がまん丸になる。
「そうだよ……そりゃ、向こうには
仕事があったから、仕方ないと言えばそうなんだけどさ……」
「いや、そうかもしれないけどさ、それはいくらなんでも急じゃないですかねー?先生、その人ほんとに大丈夫なの?」
うーんと腕を組むトモチカのとなりに、カラはいつもの通りにのんびりと笑いながら、日に焼けて真っ黒になった身体にパーカーを羽織って腰かけた。
「会ってから悩んだって、いいんじゃないかナ。そのひとも、先生のことが好きで、大事にしたいって思ってるなら、ちゃんと待ってくれるヨ」
「ま、そーかもな。とにかく、きばって会ってこいよ」
おお、流石はカラにマサヒラ。
男の子はあっさりしてるねー。
「……うん!ありがとう、みんな。心配してくれて」
「いいって。でも、式には呼べよな」
「マサヒラ!」
そんなこんなで、バドキア共和国有数の港町に着いたわけなんだけども。
うーん。
なんか、どんな格好で行けばいいんだろう……下手に着飾って行ってもなあ。漫画やアニメ見て、イルミの家がどんな場所かは知ってるし。
「いいや、このままで行こう」
別に、汚れているわけじゃないしね。
ちなみに、今着ているのはトリップしたての頃のジーンズやパーカーではない。
水陸両用の、とっても便利なスイムワーカーってやつだ。
上はハイネックの白いトップスで、下は紺のキュロット。
ニーハイ丈のスリムブーツ。
これなら、いざとなったら泳げるし、とにかく動きやすいに越したことはない。
通りすがりのショップのウィンドウガラスでささっと髪を整えて、私は定刻通りのバスに飛び乗った。
行き先は、ククルーマウンテン!
「はあ……とうとう、このときがやってきたか……」
イルミに逢えるのは嬉しい。
正直、ずっとずっと待ち遠しかった。
でも、いきなり嫁に来いというのは、トモチカの言っていた通り急すぎる。
まずは、健全なお付き合いから始めさせて下さいと、しっかりお願いしないといけないな。
うん。
気持ちを新たに、山道をガタガタとバスに揺られていると、アニメでお馴染みのバスガイドさんがお仕事ボイスを張り上げた。
「みなさあ~~ん!あちらをご覧ください!あの山こそククルーマウンテン!言わずとしれた暗殺一家、ゾルディック家の私有地にそびえ立つ、標高3700メートルの山。この広大な敷地のどこかに、幻の暗殺一家が棲むと言われています。怖いですね~~!!」
そこの長男に、今まさに結婚を迫られている私がここにいますがナニか……?
はあ……なんだか早くも鬱になってきたよ。
なんだこれ。
マリッジブルー?
「では!いよいよゾルディック家正門前に到着(致しまあ~す!ここでしばしの自由時間と、記念写真の撮影を行いますので、皆さま、くれぐれも気をつけてバスをお降りくださいませ~~!」
ツアー参加者は私を含めて20人ほど。
どやどやとバスを降りるけれど、その半数以上がとてもじゃないけどニッコリ笑って写真撮影なんて雰囲気じゃない人達……うーん。
バスの中で妙に気分が沈んでいたのはこのせいか。
案の定、バスを降りて早々、ものものしい荷物を抱えているではないか。
ジャキ、とマシンガンを突きつけて、男の一人がガイドさんに詰め寄った。
「おいコラ、ガイドのおねーちゃんよお、この門はどうやったら開くんだあ!!?」
「教えろやコラあ!!!!」
「で、ですから、ここから先はゾルディック家の私有地ですので、当主の許可なきものの浸入は禁止されております!!」
「んだとコラあ!!!???」
「きゃ――!!!」
はい、ストップ。
「な、なんだ!!??」
「急に身体が動かなく……うわあ!!」
見えない触手を巻き付けて、ぽーい、と悪漢二人を放り投げる。
ついでに、物騒なものも取り上げた。
「じ、銃が……!!?」
「空に……浮いてる!!?」
「き、き、きっと殺し屋の仕業だ!!」
「ゾルディックの幽霊だ――!!」
「バスを出せ、はやく!!!」
「こ、こ、こ、殺されるぅ――!!」
お化けが怖くて、はたして幻の殺し屋が殺せるものなのだろうか。
うーむ。
バスの入り口に寄って集って押しくらまんじゅうしている男どもを見つめていたら、ガイドのおねーさんがニッコリ笑って声をかけてきた。
「あの~~、貴女は乗らなくってもよろしいんですか?」
「ああ、はい。私はここに用があるので」
「……」
「大丈夫です。死にに行くわけじゃないですから」
ある意味、それより質が悪いんですけどねー。
するとガイドのおねーさんは、またまた笑みを深くして、
「さきほどは助けていただき、ありがとうございました。ご十分にお気をつけくださいね」
と、丁寧に言い残した。
ガイドさん……恐るべし。
さすが、号泣観光なんてツアーのコンダクターやってるだけのことはある。
さては念の使い手ではあるまいか。
まあいいや。
バスが去ったあと、私は改めて門の前へを足を進め、喉を反らせて全貌を仰ぎ見た。
暗殺一家、ゾルディック家正門。
別名を、【試しの門】。
「……大きい」
この門を、初めて本誌で目にしたのはもう、十年近くも前になる。
七枚の扉は、外側になるにつれて重さが倍になり、総重量は二百トンを超えるとんでもない扉だ。
そんな作者の設定にも驚いたし、化物のような扉を相手に果敢に挑んでいくゴン達の姿に、胸を熱くしたのもよく覚えている。
触ってみると、門の表面は意外にも滑らかだった。
でも、指の先から伝わってくるのは、想像していた通りの凍てつく氷のような冷たさ。
この扉の向こうに、イルミがいるんだろうか。
たった二週間、一緒に過ごしただけの相手。
しかも、その間中、迷惑と心配をかけてばかりだった、出来の悪い弟子のことを。
本当に、イルミは待っていてくれるんだろうか――
「あのぅ……そこの、門の前にいらっしゃるのは、どちら様ですかな?」
「っ!?」
思いがけない声に振り返ると、そこには灰色の作業服に身を包んだ、丸い体つきのおじさんが立っていた。
こ、この人は!!
「ゼブロさん!」
「はい? い、いかにも私がゼブロですが。はて、どこかでお会いしたことがありましたかな?」
おー!
おおおー!!
生だ!
生ゼブロさんじゃありませんか!
うわあああ! やっぱり、本編に出てきたキャラクターに会えると嬉しいよ!!
迷いながらも、ここに来てよかった!!
先ほどまでの不安と憂鬱はどこへやら、感動とよろこびをかみしめる私を、ゼブロさんは、きょとんとした顔で見つめている。
おおっと、いけない。まずは自己紹介からだ。
「初めまして。私、ポーと言います。数日前にイルミに呼ばれて来たんですけど、今、イルミはいますか?」
「イ……イルミ坊っちゃんに!? ええと、そうすると貴女は、情報屋か何かで?」
「いいえ。今年のハンター試験を、イルミと一緒に受験した者です。証を取って、まだ半年しか経ってませんけど、海洋生物専門の、幻獣ハンターをしています」
「はあ。それはまた、変わった方が来て下さったもんですねぇ。分かりました。彼処の管理人小屋に、執事室へ連絡がとれる電話があります。それで貴女のことをお伝えしてみましょう。ただ……その、この家は見ての通り特殊な所でして――」
額から流れる汗を拭き拭き、言葉尻を濁すゼブロさんに、わかってますと頷いた。
「なんてったってイルミの実家ですからね。普通じゃないのは承知してます。簡単に入れてもらえるとは思ってませんでしたし。執事の方に連絡をとっていただけるだけでも嬉しいです。ありがとうございます!」
「いやいや、そんな。お礼を言われることじゃございませんよ。ささ、こちらへ」
***
『申し訳ありませんが、イルミさまがお客人を招かれたというお話など、存じ上げておりません』
ガチャン!
「わっ!……あらら~、厳しいなー」
ゼブロさんにお願いして、執事室にいるゴトーさんに取り次いでもらったんだけど、二言目でブッツリと通話を切られてしまった。
いやしかし、こうなることは予想の範疇。
ガッカリなんかしませんよ。
むしろ、私は今嬉しくてしかたがないのです。
「ゼブロさんに引き続き、ゴトーさんの生声が……ゴトーさんの生声がこの耳で聞けただなんて……!!」
止まらん、鳥肌あああっ!!
しぶーい低音ドスボイス~!!!
「ゼブロさんっ、もう一回だけ!もう一回だけ、かけてもいいですかっ!!」
「そう言って、もう10回以上かけてるじゃありませんか。何度やっても同じですよ?ちょっと一息いれませんか。お茶をいれましたから、どうぞ、お上がりなさい」
管理人小屋の急騰室から、ゼブロさんはお茶とささやかなお茶菓子をお盆に持って現れた。
本当にすみませんねぇ、と、少々髪の毛が控えめになった丸い頭を擦りながら言う。
「なにしろこの家には、さっきのような賞金稼ぎの連中がひっきりなしにやって来るもんで」
「いえ。原作を読……事前に、イルミから話は聞いていましたから、大丈夫です。それに、あの試しの門を開いて中に入れば、少なくとも、門前払いはされないはずだって言われました。だから、まずは門を開いて――あ、でもよく考えたら、門の中に入ってるんだから、それから追い払われても門前払いじゃないですよね?冗談のつもりだったのかな?」
あはは~と笑う私につられ、ゼブロさんのまなじりも柔らかくなった。
管理人小屋の小さなテーブルに向かい合わせに座り、私はすすめて頂いたお茶を飲み、お茶菓子をかじった。
「いやあ~、しかし、嬉しいねぇ。あのイルミ坊っちゃんにこんなに素敵なガールフレンドが出来ただなんて」
ぶはっ!
「ゲホゴホッ!ガ、ガールフレンドかどうかはわかりませんけどねっ!?」
「でも、ご本人に、この家に来るように言われたんでしょう?だったら、立派なガールフレンドじゃありませんか。先だってはキルア坊っちゃんにお友達が出来るし、アタシゃあ幸せですよ。長生きしてよかった!」
「そ、そんなに言っていただけると、私も嬉しいです……あ、キルアに友達ってことは、ゴンやレオリオ、クラピカもここへ来たんですね?」
「ええ。そのお三人ですよ。彼らもここで門前払いをくらって、門の前で立ち往生しましたが、アタシの小屋でみっちり半月、筋力トレーニングをつみましてね。見事、第一の扉を開いて、中に進んでいきました」
おお~!!
そうそう、そうだった!ゼブロさんの住む家で、50キロのスーツ着て、重い食器や家財道具を使って家事して、四苦八苦してた!
うーん、私もぜひ経験してみたい。
「ポーさんが望まれるなら、部屋をひとつお貸ししましょう。華奢な身体つきに見えますが、貴女も立派に試験を合格されたハンターです。どうですか?ゴンくんたちと同じ鍛練を行えば、数ヵ月後にはきっと、扉を開くことが出来ると思いますがねぇ」
「お、お気持ちはすっごく嬉しいんですけど――いや、やっぱりせっかくだからちょっとくらい……いや、でもなあ、そんな道草食ってることが知れたら、イルミが怒るだろうし――」
ううっ!無念!!
濃い目の緑茶をキューっと飲み干し、私は勢いよく席を立った。
休憩終了!
「ゼブロさん、見ず知らずの私のために、色々とご配慮頂き、ありがとうございました!でも、まずは今の自分の力を試してみます。半年間、荒波を乗り越えて頑張ってきた、海洋幻獣ハンターの底力をね!!」
「は、はあ……いやしかし」
「大丈夫です!普段は何百トンって大型海洋生物を船にあげたり、陸にあげたりして鍛えてるんですから。今すぐに開いてみせます。必ず!」
腕まくりして肩をまわしつつ、管理人小屋を出た私は、まるで強敵に対峙するような気分で、再び門の前に立った。
うん。
やはり、おっきい。
五階建てのビルくらいおっきい。
うーん。
「1の扉で片側ニトン。確か、総重量は256トンでしたっけ」
「はい」
私のもといた世界に、シロナガスクジラくんという、世界最大級のナガスクジラが実在してたんだけどね。
その中でも最大といわれる、30メートル超えの個体でも、重さはせいぜい190トンなんですよ。
ははは。
冨樫先生のバカー!!!
「普通に押したってびくともしないだろうし、念を使わないとダメだろうけど――うーん、原作ではゴン達は念を使わずに開いてたしなあ……勝手に使って怒られたら嫌だし。ゼブロさーん、念を使ってもいいんですか?」
「念?」
はて、首を傾げるゼブロさんである。おっと、そうか。ゼブロさんは知らないのか……?
「ええっと……あっ!じゃあキルアに聞こう。確か今は七月の末だし、ゴンと一緒にクジラ島にいるは……繋がればいいなあ。ま、まあいいや、ダメもとでかけてみよっと」
あ、そう言えば私、まだイルミの電話番号知らなかったよ、はは。
「この前、無線に割り込んできたときに聞いといたらよかった」
素直に教えてくれるとは、思ってないけど。
……もし、私が今、イルミに電話したところで、門を開いて迎えにきてくれるかっていったら、絶対そうじゃないし。
きっと、あの抑揚のない声で淡々と、
『ほんとに来たんだ。ふーん、じゃあ、門を開いて入ってくれば?』
……って、言うんだろうなあ。
「わかってはいるけど、冷たいよね。イルミは」
まあいいや。
一先ずは、キルアに念を使って門を開いていいか聞いてみようっと。