「実に、興味深い女だ」
「……頭っから水かぶって言う台詞じゃねーだろ、団長よぅ」
冷静なノブナガのツッコミもどこ吹く風。泣く子も黙る盗賊団、幻影旅団『蜘蛛』の頭、クロロ・ルシルフルは、わずか数秒前、急に割れた念の水球のおかげでびしょ濡れになってしまったシャツをバサリと脱ぎ捨てた。
無論、周囲の女性客から黄色い歓声が湧くことも、計算済みの上である。
今の今まで頑固に割れなかった念の水球にてんやわんやしていた団員五名――シャルナーク、ウボォーギン、ノブナガ、マチ、シズクは、嘆息したり舌打ちしたり、「エロオヤジ」と、ぼそっと毒舌を吐いたりした。
「さて、シャルでもウボォーでも刃が立たなかった念の水球が、こうもあっさり割れたとなると、あの女は近距離型の念使いらしいな。術者が念能力の効果範囲を出たので、攻撃が解除されたのだろう。水を操る能力か……面白い」
「ちょっと待って」
はい、と手を上げたのはシャルナークである。水球との格闘で汗だくになった額をハンカチでぬぐいつつ、
「それだけじゃないよ、団長。確かに、コップの水がいきなり飛び出して、団長の顔に張り付いたように見えたけど、同時に、ウボォーの拘束をすり抜けて、姿も消してる。それも、ここにいる団員全員が見破れないほどの巧妙さでね」
はいはーい、と、続けて手を上げたのはシズクだった。
「だから、何度も言うけど水じゃないですよー。ただの水だったら、デメちゃんで吸い込めたけど、吸えなかったもん。動いてたし、ちょっとずつ大きくもなってたみたい。絶対生き物だよ、アレ!」
「生き物ぉ? あんな白玉みたいな生き物がいんのかよ」
「白玉……って、ウボォー、アンタ、渋いものに例えるね……でも、いい線いってるよ」
「だろ?マチ!きな粉と黒蜜かけたら食えそうだったよなあ!」
「馬鹿野郎……お前らが言ってんのは白玉じゃなくてワラビ餅だろーが!!」
「あ、それです!ノブナガさん。私も聞いてて、なーんかひっかかってたんですよねー」
「白玉でもワラビ餅でもどっちでもいーだろーがノブナガバカっタレゴラア!!」
「んだと、ウボォー!! テメェ、もう一回言ってみろ、そのマヌケヅラ三つにぶった切んぞウラァ!!」
「ちょっと、アンタ達!」
「団員同士のマジギレ禁止―」
「……で、どうするの。団長?」
このカオスを、と、シャルナーク。
ドスの効いた笑顔を浮かべる彼に、蜘蛛の頭は「そうだな……」としばし沈黙し、食べかけのまま放置していたデラックスプリンパフェに匙を伸ばした。
「――女を追う。おそらく、暗殺者の習性から人混みを避け、路地へ潜むはずだ。この当たりの路地は全て、とある界隈に繋がっている……シャルナーク、残りの団員に連絡を取れ。あぶり出して、挟み撃ちだ」
「残りの……?」
くりっと、首をかしげて一秒。シャルナークはポン、と手の平を打った。
「ああ、そういうことか!了解」
***
『おかけになった電話番号は、現在、通話中のためお繋ぎできません。少し時間をあけてから、改めておかけなおし下さい』
「……っ!」
イルミの……。
イルミの馬鹿あああああああああああああああああああ―――――ーっ!!
メキリ、と音が鳴りそうなほどに携帯を握りしめ、ヨークシンの大通りをひた走る。
でも、世界一の大競市を明後日に控えたヨークシンシティはどの通りも露天が立ち並び、数えきれないほどの人がひしめいている。
幸いにも、後方から追いかけてくる気配はまだない――でも。
スクワラさんのことを思い出せ、私!!
かれこれ10数年前、コルトピさんの生み出した偽物の緋の目を持って逃れたスクワラさんを、蜘蛛のメンバーは人波をすり抜け、壁を駆け、渋滞した車の屋根を飛び越えてとっ捕まえ、首を……くくくく首ををををををを……っ!
嫌ああああああああああああああああああああああああ―――――ーっ!!
死にたくないっ!
私にはまだ、やり残したことが山のようにあるんだから!!
それに、ここで死んだら空母が……じゃない、イルミが怒る!!!
な、なんとか逃げおおせなければ、そして、イルミと合流しないといけないのに……なのに、イルミったらちっとも電話に出てくれないしいいいいいっ!
「――っ、仕方ない。このまま大通りを走ってたら、大勢の人が戦闘に巻き込まれちゃう。ここは、路地に潜んでほとぼりが覚めるのを待つのが得策だよね」
イルミ曰く、見つかったら隠れろ。
依頼達成のためには、無駄な戦闘は極力裂けるのが殺し屋さんの鉄則なのである――って、私は殺し屋さんじゃあないんだけど。
まあいいや、今は細かいことは気にしないっ!
人混みを縫いつつ、丁度いい具合に奥まってそうな路地を見つけた私は、脇目も振らずに中へ駆け込んだ。
とたん、強い日差しは建物に遮られ、薄暗い闇が降りてくる。
奥へ、奥へ。
行きどまるたびに横道に逸れ、現れる角を何度も折れ曲がる。
賑やかだった街のざわめきは、足を進めるごとに遠ざかり、やがては、バクバクと胸を打つ心臓の音が響くだけになった。
足を止めて見上げれば、煤けたコンクリートが剥がれおち、基礎材が剥き出しになった建物が伸びている。
「……やっぱり、都会の路地裏ってちょっと怖いな」
屋根が重なっているためか、上に行くほど暗く、光も射さない。
表通りは、あんなに綺麗で賑やかなのに。
「ど、どうしよう……相手が諦めるまで隠れてようと思ったけど、こんな、ガラの悪い兄ちゃん達が好んでたむろしそうな場所、やっぱり無理だよぅ!ひ、引き返そうかなあ……」
冷や汗を拭いつつ、後ずさろうとした――その時だ。
少し先の方から、子どもの叫び声が聞こえた。
「今のは……」
続けて、こちらに向かって近づいてくる足音が数名分。
「―ーっ!『嘘つきな隠れ簑(ギミック・ミミック)』!」
とっさに姿を消したのと、同時だった。
路地の先の闇から、小さな子どもが放り出されてきたのだ。
灰色のワンピース。力なく、地面に叩きつけられたのは、服と同じ灰色の長い髪をした女の子のようだった。
そして、当然のように現れたのは、その子を追ってきたガラの悪い兄ちゃん達!
数は三名。彼等は姿を消した私がすぐ近くの壁に張り付いているとも知らず、地面に伏せた女の子を取り囲んで下卑た笑いを溢した。
「ゲッヘッヘッヘッ! もうギブアップかい、お嬢ちゃん」
「いいかげん、鬼ごっこは終わりだぜ。大人し――」
『見えない助手達(インビシブル・テンタクル)』!
ズドドドドドドドッシュッ!!
「ぐえええええっ!!」
「な、何だがはああああああっ!!」
くらえ!鳩尾に怒濤の触手チョップ!!
この私の目の前で、かわいい女の子を追い立ててどうこうしようなんざ、片腹痛いわ!!
念の攻撃を生身で受け、ガラの悪い兄ちゃん三人は折り重なるように路地に倒れた。
女の子は――まだ、うつ伏せになったままだけど、見たところ怪我もしてなさそうだ。
本当は、声をかけてあげたいけど。私ってば、もっと危ない人達に追われてる最中だからなあ。
巻き込むわけにはいかないし……ごめんね。
そう思って、姿を消したまま、そっと踵を返した――はずだった。
でも、
「待って」
「――っ!?」
細い声が引き留めた相手は、間違いなく私だった。
念能力で、姿を消しているはずの、私。
驚いて、振り向いた先には、さっきまで地面に付していた子供がいた。
華奢な素足に、灰色のワンピース。
そして、同じ色の髪――膝に届くまで長く、顔全体を覆い隠している髪。
その合間から、大きな目が一つだけ覗いている。
――知っている。
私はこの子を、いや、この人物を知っている……っ!!
幻影旅団、蜘蛛のマスコット的存在。
ココココこっコルコルコルコル……!!
「……怖がらないで、出てきてよ」
「……っ!」
「上手く隠れてるみたいだけど……なんとなく、そこにいるんじゃないかって、分かってるから……」
何もしないから……、と、囁くように続ける。
その声が、気のせいだろうか、不安そうに震えているように思えて――って、ああああ、ダメだ!!
これ以上はオーラが続かない!
パチン、と風船玉が割れるように、身体を覆っていたオーラが霧散する。
しまった……! 『嘘つきな隠れ簑(ギミック・ミミック)』は身を隠すのに便利だけど、オーラの消費量が多いために持続力に欠けるのが玉にキズなんだ!
万事休す……! と、思ったけれど、目の前のコルトピさんは、突然姿を表した私に襲いかかるでもなく、髪の間から覗く目を、ちょっと見開いただけだった。
「こんにちは……」
「こっ、こここ、こんにちはっ!」
うひゃあ!冷や汗が滝のよーに!
で、でも、コルトピさんから滲み出るオーラは穏やかなもので、敵意を全く感じない。
あ、そっか。
そういえば、さっきの場所にコルトピさんはいなかったもん。
だからきっと、旅団が私を追ってるってことを知らないに違いない。
または、指令はきているけれども、ターゲットが私であるということに、気がついていないか――
どちらにしろ、これは誤魔してとんずらできると見た!
よし!
「ぶ、無事でよかったですよー!それじゃ、私はこれでっ!」
「だから、待ってってば……」
ガシッと、いつの間にやら掴まれている腕。
さ、流石は、小さいと言えど幻影旅団の一員だ!!ていうか私、コルトピさんに触られたあああああっ!!
手、思ってたより小さい!
可愛い!!
怖いやら、感激するやらでぐっちゃぐちゃになった私を、コルトピさんは丸い瞳でじいっと見上げ、くりっと首を傾げた。
「君、名前は……?」
「名前!? な、なまえは、ポー……です」
「そう。ボクは、コルトピっていうんだー。ねえ、ポーは念を使える人……?」
「は、はい。一応……その、姿を消したりとか、できます……けど」
「……ふぅん……便利だね……それに、手際もいい。そんな格好してるけど、ただの女の子じゃないよね……何者……?」
「……!」
こ、心なしか掴まれている腕が締め付けられているような気がするううううっ!
「な、ななな何者って言うほどの者じゃないですけど、ちち、ちょっとだけ武道のできる、ただの観光客ですよっ! 連れを探してるうちに、こんなとこに迷い込んで――」
ひいいい!怖いよう怖いよう!!
コルトピさん、表情が見えないから余計に不気味だよう!!
でも、ふいに、掴まれていた腕が離された。
「……泣かないでよ」
「ヒック……ぐすっ、……え?」
ごめんね、と小さな声。
「怖がらせるつもりはなかったんだ……ごめん……何者でもいいや……ポー、助けてくれて、ありがとう……」
「……あ、は、はい」
驚きと、安堵で。
かくん、と腰が抜けそうになった。
おいで、とコルトピさん。
「出口まで、案内してあげる……この辺は、単調に見えるけどよく似た建物が入り組んでるから……気づかないうちに迷っちゃうんだよね……」
「そ、そうなんですか……」
「うん」
こーっくりと、頷いて、コルトピさんはすたすたと歩き出す。
よ、よかった……なんとか危機は脱したみたいだ。
――と、思った瞬間である。
次の角を曲がろうとした矢先、先に出てきた二人連れの人物達に、私の中の希望が音を立ててふっとんだ。
一人はがたいの良い長身の、ジャージ姿の人物。
そして、もう一人は対照的に小さく、頭からつま先まで黒ずくめのおおおおおおおお……っ!!
「お? コルトピじゃねーか。何だ、デート中か?」
「絶対違うね……誰ね、その女」
……イルミ、ごめん。
私、今度こそ死んだかも……!!