「これは……」
驚愕に目を見開くクロロ団長。
予想外の事態に、ざわめく団員達。
私はというと、身体から溢れ出す無数の触手ごと、本の中に引きずり込まれそうになっていた。
マチさんとフェイタンさんが抑えてくれているから、なんとか右腕一本ですんでいるけれど……こ、これ以上ふんばれるのか!?
「きゃあああああああああ――ッ!! こ、こら、テンタ君! テンタ君ってば、ちょっと落ち着きなさい!! 大丈夫だからっ!!」
ううわあああああマズイ、これはマズイ!!
わざとじゃないのに……戦うつもりも、逆らうつもりもこれっぽっちもないのに、周りを取り巻く団員達の視線が、だんだん殺気を孕んでくるような……!
等のクロロ団長は、相変わらずの冷静っぷりで目の前の惨事を眺めているわけだけど。
「興味深いな。どうなっているんだ?」
「わ、私にだって分かりませんよ――! ただ、さっきからテンタ君、すごくお腹空かしてたから……そんな時にこんな、オーラの塊みたいなものを押しつけられたから、我慢出来なくなっちゃったんだと思うんですけど……!!」
「ほう……テンタ君? 能力名は『見えない助手達(インビシブル・テンタクル)』というのではなかったのか」
「正式名称はそっちなんですけど……っ、テンタ君は愛称のようなもので……うわああっ!!」
右へ大きく進んだかと思えば、急旋回して左へ。テンタ君は私のことなんか気にもかけずに、縦横無尽に暴れ回る。
う、腕がもげそう……!
「ほ、本の中で何かを追い回してるみたいなんですけど……つ、捕まえた……っ!?」
ガシッと、触手の先から伝わる確かな手応え。
目的を達成した、とばかりに、マグロ船の拘束巻き取り機よろしく、私の身体に収まっていく……ズルリ、と本から引きずり出されてきた、生きの良い二匹の魚体は。
「『密室遊魚(インドアフィッシュ)』か……」
「だめ――っ!! よりにもよって、なんてもの捕まえてくるのっ!! 人様の念能力を貪り喰うんじゃありませんっ! そんなお行儀の悪い子に育てた覚えはないんだから、全く、一体誰に似たんだか……!!」
ポーだよ、と脳内に響くイルミの呟きはスルーの方向で……っ!
『密室遊魚(インドアフィッシュ)』。
それは、クロロ団長が他人から盗んだであろうと思われる具現化系の念能力だ。
たしか、密室でしか生きられないかわりに、対象者を生きたまま貪り喰ってしまうという……今は、その念魚自体が貪り喰われているわけですけれども!
そうこうしている間にも、触手は捕まえた2匹の念魚を手際よく締めて、さばいて、美味しそうに食べていく。
「うわああああっ! 身がプリプリしてるっ! 白身なんだ……クセがないのに脂がのってて本当に美味しい……!」
「何味わてるね、この糞女!! 今すぐやめないとブチ殺すよ……!」
完全に戦闘態勢に入ったフェイタンさんが、仕込み刀を手に斬りかかってくるけれど――
「わ……っ!?」
『驚愕の泡(アンビリーバブル)』発動!
よ、良かった……クロロ団長の『密室遊魚(インドアフィッシュ)』を吸収したおかげで、底をついていたオーラが少し回復したようだ。
真っ直ぐに、横に抜き払われた斬撃に、念の泡が反応した。
瞬時に増幅し、その狂刃を滑らかに受け流す。
「チッ! 第二の能力か……ワタシの居合いが完璧に防がれたね」
「下がれ、フェタン! 居合いなら俺だろ!!」
「待てよ! 刀が効かないなら、ここはオレの『超破壊拳(ビッグバンインパクト)』で……」
我も我もと、殺気立つ蜘蛛の切り込み隊長達。
しかし、そんな彼等を尻目に、クロロ団長は念魚が引きずり出された本のページを開いて、入念に調べている。
頭から尻尾まで、触手に群がられて無残に消えていってしまった念魚を、一体どう感じているのだろう。
あれはヨークシン編の山場で彼が使用する、大切な能力だったのに……。
「す、すみませんでした……私もまさか、こんなことになるなんて……本当に、なんてお詫びをしたらいいか……っ」
「別に、大した事じゃない。というか、そもそもお前は俺に謝る立場にいないだろう。何故、謝る」
「だって、だって……可愛い魚をあんな……うう……っ! テンタ君の馬鹿……!」
包丁もないのに三枚に下ろして、ご丁寧に皮までひいて食していらっしゃった……!
歯ごたえが良いのに、脂がのってるから甘くて柔らかくて、ブリみたいな……フグみたいな……とにかく美味しかった……!!
「なるほどな……能力が消えたわけではない、か。だが、再び発動させるには数日かかりそうだ。オーラがすっかり吸い取られている……しかし、これは俺のオーラがというわけではなく、元の能力者のオーラが……ふむ、なるほど、興味深い」
淡々と、まるで人ごとのように、起こったことを正確に分析するクロロ・ルシルフル。
その冷静沈着な態度に、血の気の多い団員達も落ち着きを取り戻していく。
ぼりぼりと後ろ頭をかきむしりつつ、ウボォーさんが声をかけた。
「……あー、それで。マジで大丈夫なのかよ、団長」
「ああ、問題ない」
パタン、と本を綴じ、クロロ団長はえぐえぐと泣きじゃくる私に手を伸ばしてきた。
殺されるのだろうか。
殺す気があるのだろうか。
こんなにも、穏やかなオーラを纏っているのに。
こんなにも、優しい手で――この人は、人を殺してきたのだろうか。
頬に触れられた手のひらは、普通の人間と同じように温かかった。
「今のは、お前の意思ではないのだろう。なら、気にしなくていい」
「……へ?」
それは、予想外の言葉だった。
更に重ねて、クロロ団長は言ったのだ。
「ポー、蜘蛛に入れ。俺が推薦する」
「はいいっ!?」