あーあ。
なんてこった。
本当に、なんてことが起こってしまったのだろう。
快晴の明け空に、とても似つかわしくない暗いため息がもれた。
「はああああああ~~………」
「あっ!まーた、そんなため息ついてる」
すかさず、足元から溌剌とした声。
ポンッと、私の背中を叩くのは、ツンツン尖った黒髪に、くりんくりんの丸い目をした男の子だ。
「元気だしてよ、ポー。確かに、ここはポーの知ってる世界とはちょっと違うかもしれないけどさ。命は助かったんだから。それに、渦潮に飲み込まれたのに、怪我ひとつしなかったんでしょ?それって、スゴく運のいいことだよ!」
喜ばなくっちゃね、とその子は笑う。
ニカッと、白くて並びのいい歯をむき出しにして。
裏のない、心からの言葉だった。
「ありがとう、ゴン」
ゴン=フリークス。
この子の笑顔には、不思議な力がある。
相手の不安を、ぜんぶ吹き飛ばしてしまう笑顔。
それは漫画の中や、アニメの中で見たまんまだ。
さすが、何十年かぶりに連載が開始された人気コミック、『ハンター×ハンター』の主人公――
「はあああああ……………!!!!」
「もう!また~、励ましたばっかりなのに!」
「だってぇ~!!!」
そう、そうそうそう。
そうなんだ!
私ってば、ナニが起こったのかは全く全然本当にわかんないんだけど、どうやら、ハンター×ハンターの世界にトリップしちゃったらしいのだ……!!
よりにもよって、なんでこんな超のつくほどハードでディープな、死人の山ほど出まくる世界に来てしまったのか。
しかも!!
そのきっかけとなったのが、大学院試験の落第アンド失恋のダブルパンチときたもんだからもう、笑うしかない……!!
こんなときには海だ!海辺で一人、焼きイカにビールだ……!!
そう思って、ビニール袋片手に海岸線をとぼとぼ歩き、そこまではよかった。
でも、問題はそのあと。
ぐすんぐすんと泣きながら、波打ち際に近づいた私は、突如、足元から巻き起こった謎の渦潮に巻き込まれてしまったのだ。
気がついたときには嵐の空の上。
ハンター×ハンターを読んだことのあるひとなら分かるだろうけど、あの冒頭の嵐の海に放り出された私は、運よく(?)ゴン達一行の乗った帆船に転がり落ちた。
それからのことは見事に成り行き。
なぜか、ポケットに入っていたハンター試験の受験票を見たときから嫌~な予感はしていたんだけど……このままゴン達とともにハンター試験なんか受ける羽目になったら、ホントに死んじまうぞと思った悪い予感は、ものの見事に的中してしまったのである。
色々あった。
原作通りに色々あった。
なんとか、試験会場のあるごはん屋さんの前に辿りつけたのはよかったものの、
朝早くに着いたものだから、お店の開店まではまだ時間がある。
ひとまず、店前のベンチで時間を潰している私達なのだった。
「……」
空を、見上げる。
まあ。
わくわくしない、とは言わないよ?
久しぶりに連載が始まって、新盤アニメも始まって、懐かしさのあまり、古いアニメや既刊の漫画を全て読み直すほど好きな世界なのだ。
正直言うと、こんな事態は身震いするほど嬉しいさ。
生きててよかった、と思うさ。
けど……私はこれから起こることを知ってるからなー。
おそらく、これから出会うであろう変態チックなピエロもどきさんやら、カタカタ震えている針山のような紫顔のひとのことを考えると……やっぱり。
「うううああああああ~っ!!!!怖いっ!怖い怖い怖いよう……!!やっぱムリ!!あんなヒト達、生で直視できる自信がない!!!」
「ポー!大丈夫。平気だよ、なにかあったら、今度は俺が守るから!」
「ゴン……」
「俺がここにたどり着けたのは、ポーがたくさんヒントをくれたからだもんね。だから、俺達みんなで合格しよう!ね?」
ゴン……。
あああああゴン!!!
くりん、と小首をかしげられ、上目遣いで「ね?」とか言われた日には、おねーさん、うんとうなづくしかないじゃないかコノヤロウ……!!!
「うん。うん!そうだよね、こんな機会、一生に一度しかなさそうだし。がんばらなきゃいけない気がしてきたっ!!!」
がばあっ!
「むぎゅっ!?」
「……ごめん。ゴン、ちょっと現実を現実として認められないというか、認めたくなくなってたわ!!でもがんばる……がんばるからね!!」
「うん。それでこそポーらしいな」
近くで買い物を終えたクラピカが、ペットボトル入りの飲み物と(あるんだなぁ、こっちの世界にも)なぜか、リンゴを手にやってきた。
飲み物を私に手渡して、クスリと笑う。
金髪猫目の美少女……じゃない、美少年。
「だが、無理はしないことだ。なにしろ、あの嵐の中でポーが甲板に落っこちてきて以来、この町にたどり着くまでの間は、苦労の連続だったからな。だが、こうして本当の試験会場もつきとめることができたんだ。それで、ようやく安心したのだろう。様々な思いが一時に詰め寄せるときというのは、そういうものだよ」
「クラピカ……」
男前だなあ……。
「そうだ、これも食べないか」
「……って、うええっ!?クラピカさん、リンゴ……もしかしてリンゴを剥いて下さるって言うんですか……っ!!?」
ショリショリと、手持ちのナイフで器用に皮を向いていくクラピカ。
クラピカの……クラピカの剥いてくれたリンゴが食べられるとは!!!
死ぬのはヤだけど、怪我するくらいならいいかもしれない!!
「あ、ああ。酸味と甘味が気分を和らげてくれるかと思ったのだが……余計だったか?」
「とんでもない!リンゴ大好きですもん!」
「はははっ!泣いたカラスがもう笑ってるぜ」
のしっ、と。
背後からひとの頭に肘なんか乗っけてくるオジサンは、この人しかいない。
「レオリオ!」
「ふふん。だーから言っただろ、クラピカ。ポーは意外と、現金なタイプなんだっ
て」
「……ま。否定はしません」
シャクッ!と、丁寧に剥いてもらったリンゴをかじりながら、
「でも、ふつうのリンゴじゃ駄目。クラピカが私のために買ってきて、剥いてくれたリンゴだから嬉しいの!男の人ならそこんとこ、お忘れなく」
「言うねぇ~」
ニヤニヤ笑いのレオリオが、ふっと表情を固くした。
直後。
「開店で~す!!」
威勢のいい声とともに、ガラガラとシャッターが開く。
「いよいよか……」
「よーし。死なない程度に頑張ろう」
「それはもっともだが……ポー、どうにも気が抜けるな」
「リラックスしてるって言ってくださいよぅ……」
「がんばるぞ~っっ!!!」
それぞれの思いを胸に、飛び込んだ店内。
注文するメニューは勿論。
「ステーキ定食4つ!!」
「だああっ!!ポー!お前わ何でそーやっていつも勝手に……!」
「待て、レオリオ!ポーのことだ。何か考えがあるのかもしれない」
「俺もそう思う!」
店員さんは口々に騒ぐ私達をにっこり笑顔で見渡して、まるでそう、合言葉のように聞いてきた。
「焼き方は?」
「……弱火でじっくり!」
こうなったらもう、なるようになれ!!